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■ビジネスと人権の課題への対応
経済活動における人権の尊重についても関心が高まっている。2011年、国連人権理事会において、「ビジネスと人権に関する指導原則」が全会一致で支持(endorse)された。同原則は、ビジネスと人権の関係を、「人権を保護する国家の義務」、「人権を尊重する企業の責任」、「救済へのアクセス」の三つの柱に分類し、被害者が効果的な救済にアクセスするメカニズムの重要性を強調している。
このうち、企業の責任としては、人権方針の策定、デュー・ディリジェンスの実施、苦情処理メカニズムの設置等が求められている。同原則の履行として、各国に対し国別行動計画(NAP:National Action Plan)の策定が推奨されており、20か国以上が行動計画を公表している。我が国政府においては、2020年10月に「ビジネスと人権」に関する行動計画を策定し、その中で、規模、業種等にかかわらず、日本企業に対して、人権デュー・ディリジェンスのプロセスの導入を期待する旨を表明している。人権デュー・ディリジェンスについては、OECDの「多国籍企業行動指針(1976年)」に2011年の改定で追記され、実務向けのガイダンスも示されている。
欧米各国では、「人権保護」と「対外経済政策」を連動させる動きが加速している。ドイツでは、2021年6月、「サプライチェーン法」が成立した。同法では、一定規模以上の企業に人権デュー・ディリジェンスの実施や、その結果に関する報告書の作成・公表等を義務づけており、2023年1月から施行される予定となっている。また、EUでは、2021年7月に、欧州委員会・欧州対外行動庁が、「EU企業による活動・サプライチェーンにおける強制労働のリスク対処に関するデュー・ディリジェンス・ガイダンス」を発表し、企業に対し、強制労働のリスクに対処するために必要な取組を実践面から指南している。加えて、加盟国レベルで人権デュー・ディリジェンスを義務化する動きはこれまでもみられたが、これをEU域内全体に広げる議論が加速しており、2022年2月に、欧州委員会は、「企業持続可能性デュー・ディリジェンス指令案」を公表した。本指令案は、EU域内の大企業(域内で事業を行う第三国の企業も含む)に対し、人権や環境のデュー・ディリジェンス実施等を義務づけるものである。今後、指令案は欧州議会等での議論を経て、採択されれば、各国は2年以内にこれを踏まえた国内法を制定することが求められることになる。
さらに、米国では、2021年12月、中国の新疆ウイグル自治区で一部なりとも生産等された製品や、米国政府がリストで示す事業者により生産された製品は、全て強制労働によるものと推定し米国への輸入を禁止する「ウイグル強制労働防止法」が成立した。同法では、輸入禁止を避けるには、輸入する製品が一部なりとも強制労働に依拠していないこと等を輸入者が証明する必要がある。法律を執行する上での細則やガイドライン(「執行戦略」)を定め、2022年6月に施行される予定である。こうした国際社会の動きも踏まえ、企業としても事業活動における人権尊重の取組を行っていく必要がある。CO2排出削減・脱炭素の取組と同様、人権の問題に関しても、自社内だけでなく自社のサプライチェーンやバリューチェーン全体を見据えた対応と情報開示が求められている。
(バリューチェーンにおける人権の問題)
2030年までの国連の持続可能な開発のためのアジェンダであるSDGs(Sustainable Development Goals)は、強制労働や児童労働、人身売買等の「現代奴隷制」を終わらせることを目標としている。ILOによると、2016年時点で、世界で約4,000万人が現代奴隷制(約2,500万人が強制労働、約1,500万人が強制結婚)に該当するとされる。こうした人権侵害を伴う形で採取・生産された原材料や部素材の使用、あるいは最終製品の購入等、様々な取引に関与するリスクに注意する必要がある。特にGVCの広がりの中で、人権リスクの高い国・地域内に財やサービスが留まらず、貿易に内包されてGVCに組み込まれていくリスクに留意すべきである。ILO、OECD、IOM(国際移住機関)、UNICEFは、この点を踏まえたレポートの中で、生産工程やそれ以前の原材料採取の段階における人権リスクが輸出入に内包される可能性について産業連関表の手法を用いた検討を行っている。GVCマネジメントの観点からは、グローバルに展開するサプライチェーンにおいて、自社だけでなく、取引先やサプライヤーの人権リスクについても把握する必要がある。
(日本の取組)
我が国政府においては、2020年10月に「ビジネスと人権」に関する行動計画を策定し、その中で、規模、業種等にかかわらず、日本企業に対して、人権デュー・ディリジェンスのプロセスの導入を期待する旨を表明している。経済産業省と外務省は、2021年11月、同計画のフォローアップの一環として企業の取組状況を把握するため、日本企業のビジネスと人権への取組状況に関する、政府として初めて実施した調査の結果を公表した。
調査の結果、回答企業において、売上規模が大きい企業や、海外売上比率が大きい企業は人権に関する取組の実施率が高い傾向にあることが明らかになったが、全体としては、人権デュー・ディリジェンスの実施率は約5割程度にとどまっているなど、日本企業の取組にはなお改善が必要であることが明らかになった。また、人権への取組の実施率が高い企業ほど、国際的な制度調和や他国の制度に関する支援を求めていることが明らかとなった。
政府に対する要望として、ガイドライン整備を期待する声が最も多く寄せられ、人権尊重への取組が進んでいない企業の半数からは、具体的な取組方法が分からないとの回答も寄せられた。このような状況を踏まえ、2022年3月、経済産業省は、サプライチェーンにおける人権尊重のための業種横断的なガイドライン策定に向けて検討会を立ち上げた。2022年夏までに策定する国内のガイドラインの整備と併せて、国際協調により、企業が公平な競争条件の下で積極的に人権尊重に取り組める環境、各国の措置の予見可能性が高まる環境の実現に向け取り組んでいくこととしている。
(責任あるサプライチェーン実現に向けた取組(繊維産業の場合))
繊維産業は、糸や生地の製造、製品の企画・製造、流通・販売と川上から川下まで長いサプライチェーンを築いていることが特徴である。サプライチェーンが長く、事前の需要予測が難しいことから、適量生産・適量供給を行いにくく、大量供給・大量廃棄等が生じうるという問題やサプライチェーン上の人権リスクへの対応など、サステナビリティに関する多様な課題に直面している。国際社会においては、2013年のバングラデシュにおける縫製工場入居ビル(ラナ・プラザ)の崩壊事故や、多国籍企業の現地工場の労働環境問題等、繊維産業の人権の問題に厳しい目が向けられてきた。2015年のG7サミット(エルマウ・サミット)でも、「責任あるサプライチェーン」が議題となり、首脳宣言において繊維および既成衣類部門を含むイニシアティブの強化について盛り込まれた。
経済産業省は、2021年2月から「繊維産業のサステナビリティに関する検討会」を開催し、多岐にわたる有識者とともに、繊維産業におけるサステナビリティに関する取組を促進するための議論・検討を進め、同年7月に報告書をとりまとめた。同報告書では、環境配慮、責任あるサプライチェーン管理、ジェンダー平等、供給構造を取り上げ、こうした取組を進めていく上でデジタル技術の活用が有用であるとしている。なお、責任あるサプライチェーン管理については、取組を通じて人権の尊重や労働環境の整備等を目指すとしている。また、本報告書を踏まえ、2021年11月、日本繊維産業連盟とILOが経済産業省立会いの下で繊維産業の責任ある企業行動の促進に向けた協力のための覚書を締結、これに基づき、同連盟においてILOと連携し、「繊維産業の責任ある企業行動ガイドライン(仮)」の策定を進めている。
(多様化する考慮事項)
共通価値のような非経済的価値を可視化しようという動きは、特に世界金融危機後の国際社会において顕著になってきた。「豊かさ」を市場価値のみで計測することの限界や矛盾が意識され、経済活動の外部効果や将来への影響、主観的価値等を可視化することにより、経済社会の現状を多面的に捉えようとする努力が講じられてきている。2009年のスティグリッツ委員会報告を踏まえて開発されたOECDの「Better Life Index」や、現在各国が取り組んでいる国連の持続可能な開発目標(SDGs)の進捗度を示す「SDGs Index and Dashboards」、2010年に発表され、SDGsに関する取組を総合的に評価する方法として国連環境計画(UNEP)が推進している「新国富指標(Inclusive Wealth Index: IWI)」、各国における社会進歩・幸福度に関するマクロ統計等はその例である。
我が国でも、2021年6月18日に策定された「グリーン成長戦略」において、「国連が定める国際基準である環境経済勘定体系(SEEA)や国際機関等による研究に則しつつ、環境要因を考慮した統計(グリーンGDP(仮称)など)や指標に係る研究やその整備を関係省庁が連携して行う」ことが表明された。近年、経済活動で考慮されるべき共通価値が多様化している。地球環境との関係では、気候変動問題に加えて、地球の供給限界を勘案した「自然資本の減耗(生物多様性の毀損)」の問題が論じられている(Dasgupta (2021)”The Dasgupta Review”)。
また、従来のように川上から川下(消費者)への一方向の流れ(動脈部分)だけでなく、廃棄から再生に至る流れ(静脈部分)を価値創造の場として包含することによりサプライチェーン、バリューチェーンを循環型のモデルで捉える必要性が論じられ、「循環経済」に関する指標の開発、同指標に基づく投資等も行われている。さらに、社会における所得格差の拡大や中間層の衰退を指摘する声や、企業の役割について再考する動きもある。米国のビジネスラウンドテーブルが2019年8月、企業の役割(パーパス)について、株主第一主義から全てのステークホルダーの利益を重視する方向へと考え方を転換したことは大きな反響を呼んだが、このステークホルダーへの配慮の可視化については、2020年9月、世界経済フォーラム(WEF)が「Stakeholder Capitalism Metrics (SCM)(ステークホルダー資本主義指標)」を発表している。
日本政府においても、2021年10月から「新しい資本主義実現会議」が開催され、こうした多様な共通価値に関する議論を踏まえながら、「成長と分配の好循環」、「コロナ後の新しい社会の開拓」に向けた諸課題(例えば、ステークホルダー論、人的投資、分配の問題といった資本主義の再構築に関わる論点や、サプライチェーンの強靱化、スタートアップ、デジタルトランスフォーメーション(DX)、イノベーション等)について検討が行われている。
(共通価値に関する情報開示)
捕捉するべき非経済的価値、共通価値の多様化・増大は、一方で、企業等の取組や開示すべき情報の多様化・増大と表裏をなすという点に留意したい。国際イニシアティブやNGO等の評価機関、認証の数も増え、情報の開示基準やガイドラインも多岐にわたることから、取組に関する企業の理解や対応が十分に進んでいないとの指摘もある。サステナビリティとは何か、情報開示にあたって具体的に何を報告すべきなのか、といった具体的な定義や指針が求められていると言えるだろう。
サステナビリティの定義をめぐっては、持続可能な経済活動等を促進するための投資(サステナブルファイナンス)拡大の観点から、サステナブルな経済活動を分類するための基準である「タクソノミー」の策定に向けた動きが、予定段階のものも含めて、EUやオーストラリア、アジア新興諸国等、各国・地域で見られるようになっている。「グリーン」への移行(「トランジション」)についても、ASEAN諸国やカナダなどがタクソノミー制定に動いている。タクソノミーは、これまで定義が曖昧だった「グリーン」などの概念について基準を明確化することで、表面的なサステナビリティ配慮(グリーンウォッシュ等)を防止し、真にサステナブルな活動に対する投資を推進することを目的としている。一方、タクソノミー基準設定における科学性の担保、中央集権的・硬直的な基準設定に伴うコストやリスク、各国の発展段階や地理的条件、エネルギー事情等の差異への留意等、タクソノミーの有効性を確保する上で、様々な課題も指摘されており、日本も、例えば、IPSF(International Platform on Sustainable Finance)等における検討など、タクソノミーに関する国際的な議論に、適切に参画していくことが期待される。
企業等による非財務情報の開示基準についても、足下、EUの非財務情報開示指令の改定(前述のEUタクソノミー等に留意しながらEUが定める報告基準による開示を義務付け)やIFRS財団による国際サステナビリティ基準策定のための新たな審議会設置(ISSB: International Sustainability Standards Board)等、国際的に一定の収斂に向かう動きが見られる。日本としても、その考え方や問題意識の発信を通じて基準設定に関与していくことが必要である。経済産業省では、そうした問題意識を踏まえ「非財務情報の開示指針研究会」において、質の高い非財務情報の開示を実現する指針のあるべき方向性について検討を行い、2021年11月に中間報告をとりまとめた。さらに、2022年3月にはISSBが公表しているISSB気候関連開示プロトタイプについての基礎的見解を公表し、国際的な非財務情報開示基準の議論に対する発信を行っている。
(つづく)Y.H
(出典)経済産業省 通商白書2022
https://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2022/index.html