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あるメガバンクのトップが「いまの若い人に会社への忠誠心を求めるのはおかしい、企業という舞台で自分を活かす”活私奉公”の機会を提供するのだ」といわれたそうですが、胸のすくような発言ではありませんか。このような発言は評論家なら珍しくはないかもしれませんが、現役のしかも保守性の濃い銀行のトップがおっしゃるということは時代も変わってきたと思います。しかし、このような大企業のトップはまだまだ少なく現状であって、こうしたトップの姿勢は少数派に違いありません。21世紀の現在、今後こうした考え方は加速的に広がるのではないかと思います。これからの人材育成は、単に従来のやり方(先輩の体験にもとづくOJTや各種のグループ別集合研修)を行うだけでは効果があがらないことを企業トップは悟らなければならないと思います。

経営上の重要課題に対するトップマネジメントの意識とコミットメントのありようが、その課題の達成に決定的な影響を与えることはいうまでもない。人材育成の課題ももちろんその例外ではないが、いささか他の課題と趣を異にする側面もある。それは、人材育成がトップマターであることを、言葉で唱えないトップは皆無といってよいほどである反面、その実体については文字通りピンからキリまで 「人材育成」があることである。人材育成についてのトップの言葉は言葉だけではまったく当てにならないのである。私の感触で勝手にいわせてもらえば、上場企業の経営トップ層のおそらく三分の二は、モノ、カネの革新に示した英知と決断を、ヒトの育成については示し得ていない。人材の質は時代と環境の変化と共に変わる、という基本的な認識すら不確かなようにみえる。未曽有の不連続変化の時代には、かつてないほどの国際感覚と複眼的な価値観、あるいは異質・異能の才能に富んだ個性的な人材が求められるはずである。しかし、これらの新しい人材像を明確に打ち出したトップは少ない。多くのトップが自らの率いる組織人に求めるホンネは、依然として、”組織の人的秩序の維持と平和”であり、”組織への忠誠心の高揚による団結”であるかのように思われてならない、つまり、調和とバランスの舵とりによる団結の上に乗ろうとするトップである。これでは21世紀に通用する人材の育成は到底間に合いそうもない。

出典 横山哲夫著「個立の時代の人材育成」-多様・異質・異能が組織を伸ばす-

バブルがはじける前の成功体験のすべてが無効だとはいいませんが、組織外の環境変化(自由化、国際化)と組織人の質的変化(Z世代抬頭)に対応する、個別化・個立化に焦点をおかないかぎり、新時代に即応した人材育成はすすまないと思います。今までのやり方を土台にして若い人達を「育ててやる」ことはでき難くなってきました。新しい人的素材が「自ら育つ」ことをいかに阻害せず、いかに促進するかに考え方を変えることこそが必要なのですが、不幸にして、新時代の若者達と直接交流の機会のほとんどないトップの方達は、「自ら育つ」Z世代の存在をよく知らないのです。「今どきの若い者はいわなければ何もすすんでやろうとしません」などと、先入観による教育研修担当者の報告を真に受けてはなりません。新人全員の”鍛え直し”を命じたトップがいるなどという話も聞きますが、情けない話だと感じます。いまさら旧人類型の組織人の鋳型に一律にはめ込み直そうとでもするのだろうか。新時代の組織を継承、発展させる頼もしい素材(個立指向群)を無視した時代錯誤としかいいようがありません。こういう会社では元気で異質感のある「個立」群ははじめから不採用とされ、「帰属・順応型」と「モラトリアム型」のみが採用されているのかもしれません。間われるべきはトップと人事教育部の意識そのものだと思います。

某一流大手商社では数年間連続して相当な数の若手社員を他社に流出している。このことは人材斡旋機関では周知の事実であり、”人材供給源”などと呼ばれひそかに感謝されている。事実を知ったトップが、人事部長に対策を講じることを命じたというのだが、トップも人事部長も果たして若年層の実態をどのくらい認識しているのだろうか。幸か、不幸か同社は知名度が高いので、新規卒業者を有名校から採用することは容易である。これが問題への気付きと取り組みとを遅くしたといえる。退職者の多くは他ならぬ個立群であることが予想され、同社の人事施策(育成、異動など)の今日的な問題点が顕在化してきたことを物語っている。自業自得とはいえ、もったいない話である。人事制度の個別化の一層の促進と、できれば個立化のレベルまでの転換をはかることが時代の流れであることに早く気付かなくてはならない。「個別化するとチームワークが乱れる」とか、「個立化すると転職を幇助することになる」とかもはや迷い言である。判断があべこべである。ご時世が変わったことに、有能な経営者や人事部長の気付きが遅れているのはなぜか。気付いていても新時代の幕開けに応じた人事管理、人材育成の策がとれないとすれば、それはなんらかの社内特殊事情によるものか、変化に対する抵抗の心理を自ら悟れないためか。いずれにしても個別化、個立化の遅れは人材育成の遅れとなり、経営の遅れとなろう。トップは人材育成をコトバでのみくりかえすことをやめ、人事部門担当役員に、新たな個別・個立管理の実行案の提出を求めてみてはどうか。また、横断的、序列的な人事的統制の強い組織にあっては、人事関係部門そのものに権力的な体質が染みついていることが多い。その体質の見直しにトップが自ら手をつけてみてはどうか、人事部の専門的、戦略的スタッフ機能の新たな確立と、それを個立の時代の人材育成にいかに噛み合わせるかについて、トップ自身も考えてみてはどうか。人事部長、人事担当役員に任せておいては進捗しないトップマターではないか。トップ自身の意思決定と行動力の問題ではないのか。

出典 横山哲夫著「個立の時代の人材育成」-多様・異質・異能が組織を伸ばす-

現状を見ると、トップは、人事関係部門の責任・権限・役割の見直しを指示することが必要かもしれません。重要なことは、ライン各部門長(工場長、人事以外の管理部門長)は自分に所属する従業員全員について人材育成の責任を負っていることを再度明確にすべきであると思います。
しかし、ラインに人材育成の主体性を持たせる体制は、しかるべき準備が必要であって唐突にはできません。しかし、少なくともその方向に向かうことをトップが断言することは早く行う必要があると思います。それによって、人事部門とライン部門双方の長のベクトルが合うことになります。個別の人事管理はラインの手によらなくてはできないことであり、毎日の仕事を管理するラインの、ラインによる、ラインのための管理をどのように行うのかを衆知を集めて検討する必要があります。ラインの、ラインによる、ラインのための管理は、ラインごと異なり標準的なことを実施すればよいというものではありません。一人ひとりの実績の推移、能力の向上、意欲の動向、私的なことの変化などを日常的に把握し、個別的な育成をはかるためには、ラインの上司が主役であらねばならず、人事関係者は脇役、協力者となるべきなのです。そしてラインの人材育成の責任を明確にするからは、それに伴う人事管理上の権限もラインに移すことが必要になります。ラインの長は、権限の適切な行使によって人材育成を行い、それによるラインのパフォーマンスが上がれば、当然その成果はラインへもたらされるということになります。人材育成を含む人事管理の責任はライン長にあり、人事部門はサポート役であることを明確にする、当然従業員にも明らかにすることが必要です。

人材の管轄権についての構想立案とライン主体の人事管理への移行はトップの仕事である。人材流失の甚だしいラインの長と人事部長の共同責任を問うなどの手段をとるのもトップの仕事ではなかろうか。そして、責任のなすりあいをじっくりとご覧になってみてはいかが。本当の責任はトップ自身にあることに気付かれるかもしれない。“仕事はライン”、”人は人事部”の誤まった図式では個別・個立の人材育成は困難である。人事部にできる個別のヒトの把握は過去の記録と記憶とであり、現在の意欲、将来への予測(ァセスメント)はラインの長を主役とする個別のCDPシステム (キャリア・ディベロップメント・プログラム)などに依存せざるを得ない。

出典 横山哲夫著「個立の時代の人材育成」-多様・異質・異能が組織を伸ばす-

(つづく)平林良人