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第3回 WTOのアンチダンピング課税のルール
1988年4月、欧州外相理事会は、「欧州と日本の関係」に関する声明を採択しましたが、同声明の内容は、従来の一方的な日本批判とは異なるものでした。日本の構造調整への取り組みや欧州からの輸入増大等が、日本・欧州経済関係の改善に貢献していると評価する内容になっていました。
同年12月、ロードス島で開かれた欧州理事会は、「ヨーロッパは要塞にはならない。国際貿易の一層の自由化促進に貢献する」との自由貿易体制推進の方針を打ち出しました。拡大を続けてきた欧州の対日貿易赤字も、1989年から2年続けて縮小しました。
海部首相(当時)のフランス訪問を近々にひかえた1990年1月、フランスのクレッソン欧州問題担当者は、仏経済紙のインタビューの中で、「日本が敵であることははっきりしている。規則を守らず、世界を完全に征服しようとしている」と発言し、波紋が広がりました。感情むき出しのこのようなEC側の保護主義の動きを、日本は厳しく批判しましたが、同時に、VTR等の輸出自主規制措置や、「アクション・プログラム」に基づく関税率の引き下げ。輸入手続きの簡素化等の措置をとりました。さらに、貿易黒字額を狙った総合経済対策等も打ち出し、対欧州協調路線を模索しました。日本企業も、欧州における貿易摩擦や保護主義化の傾向がさらに強まるのを避けるために、欧州域内への直接投資の拡大に努めました。その結果、日系企業の数は、1985年から約10年間で3.5倍に増えました。
貿易摩擦を生み出す品目が、鉄鋼などの素材製品から先端技術製品へと拡がっていく中で、欧州がダンピング提訴を連発しました。その背景には、欧州がハイテク部門の技術革新で遅れをとり、その結果として、欧州と日本との技術格差が拡大してしまったことが上げられます。欧州側もこの事実を深刻に受け止め、市場統合をさらに深化させることによって、技術革新と産業の競争力強化を図っていこうとしました。
ここで、アンチダンピング税について話をしたいと思います。1947年に成立したGATT(現在のWTO)には「アンチダンピング税をかけてもよい」という規定が入っていました。この意味するところは2つあって、1つは、各国は自国でアンチダンピング税をかける場合、かけ方は国際的ルールに従って行うこと、2つ目は、一定の要件がみたされればアンチダンピング税をかけてよい、というものでした。
GATTが成立してから、加盟国は、以後何度も「ラウンド」といわれる多角的な貿易交渉を行ない、8回目のウルグアイ・ラウンドで協定を成立させました。その間、1960年代にケネディ・ラウンド交渉が行われて、アンチダンピング税をかける際の国際的な細則のような協定が合意されました。しかし、その協定では条件があまりにも厳しすぎたために、各国がアンチダンピング税を発動するのが難しくなりました。そこで、条件をもう少し緩和しようということになり、1970年代に行われた東京ラウンド交渉ではアンチダンピングの規則を作って、アンチダンピング税を掛けやすくしました。この国際的なルールの緩和を受けて、米国を初め、欧州共同体、カナダ、オーストラリアなどでアンチダンピング税をかけるための国内法も整備され、アンチダンピング税をかける件数が飛躍的に増えたのです。当時アンチダンピング税の対象になったのは、例えば日本や韓国などからの輸出品で、繊維製品、鋼材、自動車、家電製品、事務機器、機械類など多岐にわたりました。
1980年代半ばに始まったウルグアイ・ラウンド交渉では、今度は日本や韓国がアンチダンピングの発動をもっと厳しく規制すべきであるという立場で懸命な交渉を行い、それがある程度功を奏して、ウルグアイ・ラウンドの新しいアンチダンピング協定では、発動をもっと厳しくすることにある程度成功しました。
アンチダンピングの申告を外国から受けた場合、日本の企業の対応は、第1回に述べたように、アンチダンピング税の受諾、現地生産、そしてアンチダンピング税に対しての訴訟の3つに対応に分かれました。それ以外の対応として、相手国或いは相手企業と仲良くするという方法もありました。実例数は少ないのですが、例えば70年代に欧州で録音の磁気ヘッドがダンピング調査の対象になった時、日本の企業は「何を言うか」と怒りましたが、欧州側は「日本側は、安売りしているじゃないか。そんなに安くできるわけがない」と反論してきました。そこで、「じゃあ、私たちの国、日本に見に来たらいい」と、日本側が費用を負担して招待し、工場も案内しました。そうしたら、訴えた側の欧州企業は、「我々と比べてあなた方はすごく合理的な生産をしている。生産性もいい。これではこんなに安い原価でできるのは当たり前だ」と言って、ダンピングの提訴を取り下げました。それからその業界は欧州と仲良くなったという経緯がその後に続きます。
逆に、日本側が外国を相手取ってアンチダンピング措置を取ることが少ないのはなぜでしょうか。1つは日本人の文化的伝統にあって、できるだけ外国と紛争を起こしたくない側面があると思います。従来、外国を相手取ってダンピング調査しても、「何もありませんでした」という結果が出るというリスクを回避したいという日本の方針も理由でした。日本の企業がアンチダンピング調査で提訴すると、行政側から多くの質問や資料の要求があって、その対応に大変なエネルギーが必要である、という実態があります。提訴する企業側或いは産業界のトップに経費がかかっても、絶対に引かないという強い意志が不可欠です。過去の例では、中国産のフェロシリコンマンガンが最初のケースでしたが、この時は業界のリーダーがかなり傑出した人物だったということです。次はパキスタン産の綿糸とか、韓国産のアクリル綿などですが、いずれも強い意志で訴訟を成功させています。アメリカのケースでは、そんなに比率は高くありませんが、訴訟を取り下げざるを得ないというケースもありましたので、日本の企業の側には面倒なことまでして敢えて事を構える必要はないという思いも強くあったということです。
(つづく)