第6回 ブレグジットBrexit交渉における紆余曲折(2)

カトリック系とプロテスタント系の住民が激しく対立し、約30年間に3,000人以上の犠牲者を出した北アイルランド紛争は、1998年の「ベルファスト和平合意」により終止符が打たれました。北アイルランドの帰属を巡って続いた紛争の合意により、英領北アイルランドとアイルランドの約50キロに及ぶ境界線では国境管理が廃止されました。また、アイルランド島全域が同じルールや機関により運営されることになり、北アイルランドは英国内でも特殊な位置づけになっています。英国のブレグジットにより、国境で検問が導入される可能性がでてきて、2018年には北アイルランドで新たな反英国組織が車を爆発させる事件まで起き、テロ再燃の懸念が高まっています。

英国領北アイルランドとアイルランドとは、同じ島にあり陸地の国境管理を厳格に実施することは、北アイルランド紛争の時代を想起させます。一般に国が異なれば国境では、人に対する国境検問及び物品に対する税関検査等、ハードな国境管理が行われますが、これを如何に回避するかという問題が浮上しました。人の自由移動の枠組みとして「共通往来地域」が英国とアイルランド両国にEU加盟前から存在していましたので、これはブレグジット後も維持されることになり、問題はありません。しかし、物品の動きについては、英国がEUの関税同盟から離脱すると同時に、何も手を打たなければハードな国境管理が出現することになります。

北アイルランド国境問題を解決する事を目指しての英国とEU間の交渉は難航を極めました。メイ首相は、20~44カ月の移行期間中に、EUとの間で交渉する特別な税関・通商合意により、英国とEUの全境界で円滑な往来が実現し、アイルランド国境を通過する物品に対して厳格な検査を行う必要性は生じない、と主張しました。しかし、アイルランドはEUの支持を受け、この将来的な通商協議が失敗に終わった場合に備えた「保険」(バックストップ)を求めました。理論的にはアイルランドをEU関税同盟から離脱させることが出来れば、物の自由移動を北アイルランド限定で解決するという「禁じ手」が有り得るのですが、これにはアイルランドが反対します。

英国とEU間には、北アイルランドでのハードな国境を回避するという目標で一致しながら、それをどの様に達成するかという方法論に於いて根本的な相違が明確になってきました。英国は、ハードな国境管理の回避を英国とEUの将来の関係協定で達成しようとする(先延ばし)、一方、EUは離脱協定の段階で解決策を先に明確にすべきであると考えました。メイ首相は、厳格な国境管理を回避するのに必要な「代替的な取り決め」が取り交わされるまでの間、英国はEUの関税同盟内にとどまるとしましたが、EU側は、北アイルランドのみが関税同盟にとどまるべきだと主張しました。メイ首相や北アイルランドの地域政党で英国帰属を主張する民主統一党(DUP)が、北アイルランドとアイルランドの合併に道を開くものだとしてこれに反対しました。DUPは、メイ首相の保守党政権に閣外協力し、議会での多数維持に貢献している北アイルランドの地域政党です。

離脱協定を条文化する作業が行われることになりました。その「共同レポート」に於いて英国は、北アイルランドに「物理的施設又は関連するチェック及びコントロールを含め、ハードな国境管理を回避する事」を再確認する一方、「英国の不可欠な一部としての北アイルランドの立場を引き続き完全に尊重し、かつ支持する」ことを表明しました。しかし、英国が関税同盟から離脱するならば、税関検査や規制チェックの必要が生じる結果、ハードな国境管理の回避は不可能となります。その様な事態を防ぐため、「共同レポート」で次の3つのオプションが約束されました。

(A)英国はアイルランド島の南北協力及びハードな国境管理を回避する。
(B)これが不可能な場合、英国はアイルランド島の特殊な状況に取り組むため特殊な解決策を提案する。
(C)解決策が合意に至らない場合、英国は、現在又は将来に於いて、南北協力、1998年ベルファスト協定の保全を維持する。

 以上のオプションは、英国とEU間の妥協の産物でした。EUは、離脱協定で用意すべきはバックストップとしてのオプションCであり、オプションA及びBは将来の関係協定の交渉で取り組まれるべきであるとしましたが、英国側は、離脱協定で用意すべきはオプションA及びBであるとしました。「共同レポート」で示されたオプションは、まさに同床異夢の合意でした。

「共同レポート」の結果、英国は北アイルランド国境問題に於いてトリレンマ(3つの矛盾)に陥りました。関税同盟のル-ルとの完全な整合性を維持する、ということは、北アイルランドのみがEUの関税同盟の物の自由移動に実質的にとどまることを意味しました。これは、ハードな国境管理の回避を確保する中で、少なくとも物品貿易に於ける規制チェックが北アイルランドと英国本土との間、即ち、アイリッシュ海で行われ無い様にすることを意味しました。しかし、その為には結局、北アイルランドを含む英国全土が関税同盟の物の自由移動にとどまる必要がありました。英国にとって、このトリレンマを解決する最善の方策は英国とEUの将来の関係協定の中に解決策を用意することです。メイ首相は、英国全土を対象とする「暫定税関取り決め」を対案として提示しました。但し、それは関税同盟にのみ関わる解決策であり、物品の規制チェックがアイリッシュ海を挟んで行われることを意味した為、DUPの要求を充たしていませんでした。この様にブレグジット交渉が進むにつれて、メイ首相は徐々に劣勢となり、事実上共同レポートの修正へと追い込まれていきました。

多くの議員が、EUのルールや関税率に縛られ、英国独自の貿易協定も結べない状態で、EUの司法機関の監督を受け続けることを嫌っています。メイ首相は、2021年をめどとした期限をバックストップに設けることをEUに求めましたが、アイルランドや多くのEU指導者はそれを拒否しました。

(次号へつづく)