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第二回
第1回では、私がISOと最初に関係したネジとナットに関しての話を、1960年代後半ころを中心に披露させていただきました。引き続き、私の信州精器の時計部品時代の話をさせていただきます。
3.2 スイス輸入機械の稼働
なぜスイスが部品製造機械の他国への輸出を認めていたのか、いまだにその戦略は理解できません。日本では多くの企業が製品を製造する装置、治工具、配合、レシピなどは企業秘密にしています。ジッパーで世界シェアNo.1 である吉田工業、半導体セラミックで超優良企業の京都セラミックなどはその好例だと思います。SEIKOが徐々にその名が世界に知れ渡るころになると、精工舎(諏訪精工舎、第二精工舎)の幹部は欧州に出張するようになりました。古くなった機械を自動化したい、さらに効率化したいという内的動機は、幹部の海外視察の度合を多くし、その帰国土産にスイス加工機械購入を契約してくるということが頻繁に行われました。私共技術者の役割は、その輸入加工機械を工場内に設置し、場合によってはスイス技術者の指導を受けて、効率よく稼働させることでした。1年以内には自分の腕のごとく自在に動くようにさせることが目標でした。
その稼働を支えるデータの収集は我々技術集団の独壇場でした。最初は機械設置の場所の床強度、平面度、防振基礎などに抜かりがないか確認することから始めます。電源を入れモータの作動を確認し、機械の取り扱い説明書に沿って運転を始めます。機械によっては取り扱い説明書が英語ではなく、フランス語ということもあり、諏訪精工舎の中にはフランス語に堪能な女性が数人活躍をしていました。当時は、スイス時計の製造に使用されていたLiechtenstein製の機械もスイス製機械と呼んでいました。信州精器が関わる部品には、時計の基礎土台である地板、間に挟まる時刻伝達機構役目の番車、それを挟んで屋根役の受があります。地板は真鍮厚み3㎜、直径30㎜程のCoin状、受は同じ真鍮製で厚み1.5㎜程、直径30㎜のやはりCoin状です。この真鍮板に、面研磨、穴明け、面切削、外形切削、プレス抜きを加工する機械群がほとんどスイス製でした。あまり面白くないかもしれませんが、加工工程に沿ってその機械の説明をしたいと思います。少し専門的な話になりますが、興味のない方は読み飛ばしていただいて結構です。私自身には技術遍歴から除くことができない話ですので、割愛せず簡単に述べさせていただきます。
(1) 平面研削盤ディスカス
一口でいうと、40ステーション回転機械(40 Station Rotary Machine)で、製造会社がDiscus社であったことからこう呼ばれています。直径1.5m程、厚み20㎝ほどの大きさの上下砥石を回転させ、その隙間に40個の部品( 地板 )を入れ、部品の上面、下面を同時に研磨する機械です。驚くのは、その大きさと重さでしょう。工場1階のフロアーに設置したにも拘わらず、床面強度の補強が必要で床をくり抜いて専用の基礎をコンクリートで作りました。従来の、上面、下面を別々に研削する機械に比較すると、その加工効率は約10倍に達しました。
(2) 穴明け機
イ)シャブリン
ワインのような名前です(多分ワイン畑所有者と同じ家系が開発した機械)が、相対する2本の高さに位置するパンタグラフ方式の位置に部品( 地板or受 )をセットして、水平方向の回転ドリルで穴明けする機械です。指定された位置に必要な直径の穴明けができ、どんな位置、どんな直径の穴開けにも対応可能な汎用性に優れた機械でした。しかし、機械動作が20数回繰り返してやっと1サイクル終了という効率の悪さ、位置決め、ドリル交換時にガシャガシャと大きな音を立てる問題がありました。
ロ)エミサ
シャブリンの非効率な欠点を解決した機械です。頭上に持つ1モータから小さいギアを介して、20か所の位置にセットされたCoin状部品 ( 地板or受 )を穴明けします。1~1.5秒で1加工が終了する効率の良い機械でしたが、20数本の位置出しは、一度セットすると修正は困難で、機種変更が難しい機械でした。
ハ)アレマンC-20
20ステーション回転機械(20 Station Rotary Machine)です。ヘッドに傘状の18縦型スピンドルがあり、各スピンドル毎に異なった役割(穴明け、タッピング)を持たせています。Coin状の部品 ( 地板or受 ) を、平らな20か所ステーションにセットします。回転機械の1/20回転ヘッドが1回ごと上下し、20ステーションにセットされたCoin状の部品 ( 地板or受) の穴明け加工とネジ切加工を行います。従って、1/20回転ごとに1個のCoin状部品の加工が完成します。案内治具をしっかり調整すれば、回転機械の分割精度内で部品加工精度が得られます。
ニ)アレマンM-15
アレマンC-20と同じタイプの15 ステーション回転機械(15 Station Rotary Machine)
です。アレマンC-20のドリル、タッピング加工とは違い、12~13本の縦型スピンドルが付いており、直径10㎜の刃具加工までできました。ヘッドの上下15箇所の切削までが可能で、案内治具をしっかり調整すれば回転機械の分割精度内での部品位置精度が得られるのは、アレマンC-20と同じでしたが、何故かヘッド精度は「厚み精度」にまで及ばず使われずお蔵入りとなった因縁の機械でした。
3.3 横サライ加工機ハウザ-
カム軌道制御により、2軸(x軸、y軸)と厚み精度を決めることができる複雑形状を加工できるミーリング機械です。現在のNCマシンの原型であり、数値制御の代わりにカムで制御していた機械です。Coin状部品(地板or受 )を2部品同時に加工できる機械で、同形状、厚みの部品を20~30秒で加工終了します。厚みの加工精度は高く、規定厚み±0.01㎜程度の確保が可能でした。使用刃具のフライス直径は2~5㎜の物が使われていました。その他、自動旋盤、歯割盤等がありましたが割愛します。
以上記しました機械類を使いこなせるようになるにはそれなりの時間と慣れが必要でしたが、当時盛んになりつつあったSQC(統計的品質管理)の応用が大分役に立ちました。
そこで使われた手法の多くは品質管理7つ道具でした。なかなかイギリス駐在の話に行きませんが、ETL(エプソン英国工場)での工場長業務の基礎がここ信州精器で培われましたので、もう少し我慢して聞いてください。
4. TQC(日本式品質管理)について
第二次世界大戦後、日本の産業界はゼロからの出発を余儀なくされました。飲まず食わずの戦後の時代にあって、エネルギー源のない日本の生きる道は加工貿易しかないと確信し、工業製品の量産化とそれに伴う製品品質の向上が日本の生命線であるとして、官民一体になって産業復興を強く推進しました。アメリカによる占領下、すべてのものがアメリカから導入されるのは自然の成り行きでしたが、品質管理も1950年頃から組織的に紹介されるようになりました。アメリカでは20世紀の初頭、内燃機関の発明等に端を発した大量生産の時代を迎え、種々の工業製品が新しい思想に基づく生産方式、すなわち近代生産方式に切り替わっていました。そんな国と戦争をしたのですから、いまさらながら、当時の軍国主義国家はいかに実情把握をしていなかったか思い知らされます。
これより前、アメリカのベル研究所のシューハート(W. A .Shewhart)は、1931年SQC(Statistical Quality Control)という名で今日に知られる、数理統計学を応用した品質管理を提唱しています(著書:工業製品品質の経済的管理;Economic Control of Quality of Manufactured Products)。彼の発想は、大量生産も自然界と同じように「ばらつき」の世界にあり、コントロールの仕方で「ばらつき」の分布が異なるというものでした。製造工程からデータを抽出して、ある一定以上の数のデータを分析すれば、該当する工程がコントロールされた状態にあるのか、コントロールされない状態にあるのかが分かる、というものです。シューハートの「管理図」は1930年代以降アメリカの品質管理に広く応用され、特にASME(American Society for mechanical Engineers)、ASTM(American Society for Testing of Materials)両組織はSQCの普及に力を入れました。1930年代には、ベル研究所のダッジとロミッグ(H.F.Dodge and H.F.Romig)が、抜取検査方式を確立論から導き出しています。1940年代になるとアメリカでは軍がSQCの標準化を進め、アメリカ軍規格Z1.1~Z1.3等を制定しました。Z1.1はGuide for Quality Control :1941であり 、 Z1.2、Z1.3は Control Chart Method に関するものでした。