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バブルが弾けて以来、日本の国際競争力は低下の一途をたどっています。1989年の1位から今年はなんと34まで落ちてしまいました。スイスのIMD(国際経営開発研究所:International Institute for Management Development)調査を日本語翻訳した三菱総研のホームページを毎年眺めて胸を痛めている日本人は私一人ではないと思います。一昔も二昔も前(1980年頃)、Japan as No.1と称され、品質立国日本として自他ともに認め、称賛された品質管理の日本の面影は完全に消え去ってしまいました。
品質管理、品質保証を学び、実践し、なお現在も研究している私にとって、今日の日本産業界の負の縮図は何ともやるせない思いでいっぱいです。
日本産業界、ひいては日本社会の再生にいくばくかの息吹を与えたいと思い、ここに、昨今の品質不祥事の実態の一端を架空の会社として簡単なストーリ仕立てにしてみました。前回のプロローグに続くストーリです。
(再掲)
【社会人になって】
ある業界ではA社が新製品XをB-B市場に出した、その製品は一定の評価を市場から受け、社会にも製品の存在が知れ渡るようになった。様子を見ていた同業B社、そしてC社でも類似の製品を開発し、マーケットは活性化していった。しばらくするとD社、E社が現れ、先行各社の機能を真似した製品を安い価格で市場に出した。
しかし、D社、E社の製品は価格が安い反面、品質は良くなく、業界では最低限必要なスペックを共同で作ろうという動きがでた。このX製品に注目していた行政もスペックの標準化は政府方針と合致するとして、業界のこの動きを歓迎し、国家規格(JIS規格)を検討したらどうかと業界団体に働きかけた。その結果JIS規格委員会の中にWGが作られ、業界団体ではWGメンバーの選出を行い、JIS規格制定への活動を開始した。
(今回ここから)
それぞれの会社は、スペック制定において主導権を握ろうとして、さらに高度な機能の製品開発に先行投資をし、ミニ開発競争が業界で始まった。JIS規格制定という目標を前に各社は張り切って「これぞ」と思う規格を持ち寄った。トップ企業であるA社は積極的に技術内容を開示し、JIS規格制定の主導権を取った。トップ企業の提案する規格は製品の品質面から申し分ないものあったので、他社でそれに対抗する案を出せるところはなかった。
3年間掛って制定されたJIS規格には、使用する材料、設備、技術などについて厳格な管理項目。管理水準が定められ、D社、E社は実質的にその水準を維持管理することが困難になり、暫くしてX製品市場から撤退した。
1.第1ステージ
X製品は、その後市場で一定のビジネス規模に拡大し、A社、B社、C社はJIS規格を厳格に管理しながら市場を専有する時代を謳歌した。しかし、20年経つとX製品は技術革新の波に乗った新しい製品と競争をせざるを得なくX製品を生産していたB社、C社はほどなくこの市場から撤退し、残る企業はA社一社になった。
最後まで市場に残ったA社は元々この製品を開発した会社であるので、社会的にも最有力会社と見られていて顧客の信頼感は高く、最後まで市場に製品を提供することは当然だと思われていた。しかし、A社も昨今の事業環境変化の中で経営上の問題をいくつも抱えており、X製品を製造する高額な設備を更新したり、検査人員を十分に配置したりすることはここ数年徐々に出来なくなっていた。開発当初に設定した製造条件を維持するだけの経済的合理性が薄れてきたと経営陣は判断しつつあったが、さりとて市場から撤退するという経営判断もできず数年が経った。
A社のX製品担当のSさん(品証課員)は、そんな状況の中で現場が疲弊していく姿に危機感をいだき「X製品プロジェクト」計画書を課長に提出した。
主な内容は次のとおりである。
- ①製造設備を新しいものに入れ替える。
20年の稼働を経て諸設備は耐久年限を超えている。 - ②検査設備を新しいものに入れ替える。
校正しても機器はしばらくすると狂う。 - ③技能者のOJTを行う。
外国人労働者が配置されたがOJTが足りない。 - ④材料の受入検査を行う。
仕入れ先がコストダウンの理由で変更になったので品質チェックを強化する必要がある。
しかし、③、④は対応してもらえたが、①、②は財政上を理由に対応してもらえなかった。
Sさんはそのうちに何かが起きるのではないかとの予感を持っていたが、案の定、検査課からのデータに異変が起こった。
その異変は、ある個所のデータが限界線を越えるということから起きた。明らかに設備のせいであるとSさんには思えたが今更遅い。幸い外れている個所は2か所のみで限定的なものなので、Sさんはこっそりデータを限界線内に手直しした。こんなことが半年も続いた。
(つづく)