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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.320 ■□■
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** ナラティブ内部監査24 ***
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前回から、ナラティブ内部監査で求められる、3.他者理解につ
いての話をしています。
他人と違うところを個性といいますが、人の個性は、持って生ま
れた性質、考え方、利点、欠点、感情の表現、喜怒哀楽の感じ方・
感覚、体格、風貌、容姿、話し方など、いろいろな観点から表現
します。
中でも「喜怒哀楽の感じ方・感覚」は人それぞれ大きく異なりま
す。強い・弱い感覚、寒い・暑い感覚、食べ物の好き嫌い・嗜好
などの違いは、みな感覚の違いからきています。
人にはいろいろな個性があることを理解すると、他人の思い・感
覚を「自分にはすべて分からない」ということが分かります。
このことが「他者理解」で一番大切なことであると思います。
■□■ 不愉快、愉快 ■□■
喜怒哀楽の感じ方・感覚が人によって違うということから、何が
心地よくて、何を不快と思うかは、人によって異なります。
ジャズの好きな人がいれば、クラシックの好きな人も、また演歌
の好きな人もいます。駅前で楽器をかき鳴らす若者たちを好まし
いと感じる人が居ると思えば、眉をひそめる人もいます。要する
に人による感じ方、感覚はマチマチなのです。
これが音楽ではなく、仕事のこととなると単純に喜怒哀楽の感じ
方・感覚の違いであるとは片づけられなくなります。仕事におけ
る出来事や状況に応じての判断基準は、人の感じ方、感覚ではあ
りません。それはその仕事の目的から決められてきます。その決
められたことに対しての受け止め方は人によってマチマチです。
仕事上での行き詰まりに対して「絶望的だ」と言う人もいれば、
おなじ出来事に対して「これからが勝負だ」と思う人もいます。
働き方改革でパワハラが社会的問題になっていますが、会社など
で上司が注意した言葉に「自分を否定された」と傷つく人もいれ
ば、同じ言葉に「励ましてもらえた」と肯定的に受け取る人もい
ます。
■□■ 誰にでも当てはまるコミュニケーション ■□■
私にも経験がありますが、自分の発した言葉や行為が思いがけず
他者を傷つけ、職場の上司の逆鱗に触れることがあります。私に
は全くそんなつもりはなくても、相手は私に傷つけられたと思っ
ているわけです。
多くの人はこのような経験をすると、相手をまた傷つけるのでは
ないかと恐くなり、他者の顔色をうかがうようになります。
その結果、本心からのコミュニケーションが成り立たなくなりま
す。もちろんパワハラを容認するつもりは全くありません。しか
し、私には本当のコミュニケーションが成り立たなくなることを
心配します。
確かに「人の気持ちを理解する」「他者の痛みを分かる」ことは、
人と人が円滑に意思を疎通し平和に暮らしていく上で大切なこと
です。しかし、人の「受け取め方」はさまざまである以上、誰に
でも当てはまるコミュニケーション法はないと思います。
状況によっては誰かを傷つけることもあり得ることを理解し、そ
れでも他者を理解する努力をし続けなければなりません。
■□■ 他者理解と他者優先 ■□■
ここまで述べてきたように、他人を理解することは思ったよりも
難しいということです。
他者が何を考え、どんな価値観を持っているのかは、お互いを相
当に知り合えた後でないと分かり合えず、どのような状況で傷つ
くかをあらかじめ知ることはできないからです。
基本的に人は他者の気持ち(痛み)は理解できないと心得ておか
なければなりません。その前提に立って、お互いに何とか他者を
理解しようと試みる努力こそが尊いと思います。
「人の気持ちを分かれ」と安易に言う人がいますが、他人の気持
ちは簡単に理解できるという思い込みがその人にはあると思いま
す。この思い込みはある意味危険なものです。人と人は簡単に理
解し合えるものではありません。もしそれほど簡単なら、世の中
どうしてこれほど人間関係の行き違い、トラブルが絶えないので
しょうか。しかし、誰もが「自分を分かって欲しいが、でも分か
ってもらえない」という悩みを持っています。日本では多くの人
が幼いころから「他人の気持ち」を分かるように言われ続けまし
た。これは「他者理解」ではなく、「他者優先」です。イギリス
での経験からいうと、この社会的風土は極めて日本に独自のもの
です。
日本ではその場の空気を読むことが重要であると思われています。
確かに多くの人が和やかに談笑しているときに場違いな発言をす
ることは避けなければなりません。でも自分を抑えても他者を優
先することは他者理解につながりません。
自分の「本音」「本心」すなわち、自己理解があって初めて他者
理解が出来るというのは、このことを言っているのです。自分の
気持ちを抑えて他人と接すると真のコミュニケーションは成り立
ちません。