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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.397 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** トヨタ物語11 ***
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トヨタ創業期の話と近年の品質不祥事の話には大きなギャップが
ありますが、この違いはどこから来るのか、考えさせられます。
下記の記述は1970年頃に私が聞いた大野耐一氏(当時副社長)の
講演記録からです。
■■ 標準とは自らつくり出すもの ■■
「大野が見るフォード1世 」の続きです。
かつて昭和12~13年、私がまだ豊田紡織に在籍していたころ、
上司に「紡績の標準作業を書いてみよ」と言われて、たいへん
困りました。以後、標準作業の「標準」とはいったい何かにつ
いてあれこれ考え続けた。標準作業において考えられる要素は、
人と機械と物であって、常にそれらが相互に有効に組み合わさ
っていないと、効率的な生産を行なうことは不可能である。働
く人間が疎外されるからです。
「標準」とは生産現場の人間がつくり上げるべきものです。決
して上からのお仕着せであってはならない。しかし、企業全体
の大きなデザインのなかで、工場全体のシステムが設定されて
こそ、生産現場の各部分の「標準」も緻密で弾力的なものとな
るはずです。その意味では、「標準」とは生産現場の「標準作
業」だけでなく、企業トップの概念としてとらえておかなけれ
ばならないと考えます。そこでヘンリー・フォード1世の意見
をたたき材料にさせてもらいます。
■■ フォード1世が考えた標準 ■■
標準(スタンダード)の設定には慎重な態度が必要である。な
ぜなら、標準はともすると正しいものより間違ったものを設定
することになりがちだからである。標準化には「惰性」を表す
ものと「進歩」を表すものがある。したがって標準化について
漠然と議論することは危険である。視点には生産者側のものと
消費者側のものとの2つがある。たとえば、政府の委員会や各
省が、同じ生産物にいかに多くのスタイルがあり、また多様性
があるかを各産業部門ごとに調査し、無駄な重複であると認め
たものを排除して、標準と称するものを設定したとしよう。こ
れによって公衆は利益を受けるであろうか。全国を1つの生産
単位として考えねばならない戦時下の場合を除いて、その答は
まったく否である。それはまず第1に、おそらくどんな団体も
標準を設定するのに必要な知識をもつことはできないのである。
なぜなら、そうした知識は各製造部門内部から得られるもので、
決して外部から得られるものではないからである。第2に、た
とえ彼らがそうした知識をもっていたとしても、その標準は、
おそらく一時的には経済に効果を与えるかもしれないが、結局
は進歩を妨げることになる。なぜなら製造業者は公衆のために
ではなく、標準のためにものをつくることで満足するようにな
り、人間の能力も鋭くなるどころか、かえって鈍くなるからで
ある。
■■ フォード1世に同感する大野氏 ■■
ヘンリー・フォード1世の考え方のなかに、標準とは上から与
えられるものではないという強い信念が感じとれるが、それは
相手が国であっても、企業トップであっても、工場長であって
も、どのような上司であっても、要するに「標準」を設定する
人間は、たとえば企業においては生産現場の当事者がせよ、そ
うでないと「進歩」のための標準にはなりえないことを強調し
ている。同感である。もう少しフォードを読んでいこう。「標
準とは何か」を追求しつつ、フォードは私企業の未来、産業の
未来にまで考えをおよばせていく。
産業の終着点は、人々が頭脳を必要としない、標準化され、自
動化された世界ではない。その終着点は、人によって頭脳を働
かす機械が豊富に存在する世界である。なぜならそこでは、人
間は、もはや朝早くから夜遅くまで、生計を得るための仕事に
かかりきりになるというようなことはなくなるだろう。産業の
真の目的は、1つの型に人間をはめこむことではない。また働
く人々を見かけ上の最高の地位にまで昇進させることでもない。
産業は、働く人々をも含めて公衆に、サービスを行うために存
在する。産業の真の目的は、この世の中をよくできた、しかも
安価な生産物で満たして、人間の精神と肉体を、生存のための
苦役から解放することにある。その生産物がどこまで標準化さ
れるかは、国家の問題ではなく、個々の製造業者の問題である。
ここには、ヘンリー・フォード1世の先見性がはっきりと出て
いる。そして、フォードとその協力者たちの発明し開発したオ
ートメーション・システムというか、「流れ作業」が決して、機
械が人間を振り回し、人間疎外を引き起こすことを意図したも
のでないことがわかる。
なにごともそうだが、創造した人間の意図がどんなに立派なもの
でも、それがそのまま展開されていくとはかぎらない。