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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.406 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** トヨタ物語 15 ***
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トヨタ創業時の話を聴くと近年の品質不祥事の話と大きなギャッ
プを感じます。竹がまっすぐ成長する青年と葉が枯れだした老木
との違いのごとくです。下記の記述は1970年頃に私が聞いた大野
耐一氏(当時副社長)の講演記録からです。
■■ 逆転の発想と企業家精神 ■■
ヘンリー・フォード1世のこの著作『今日、そして明日』(Today
and Tomorrow)は、彼の絶頂期の1926年にアメリカで公にされ
ているが、じつはこの1926年はアメリカの自動車市場にとって
大転換期に当たっている。この変化の内容については後に触れる
が、要するに、この時期はヘンリー・フォード1世の絶頂期であ
ると同時に、皮肉なことには「明日」にはGMに追い上げられ、
下降期に入っていくのである。この1926年という年は日本の大
正15年に当たり、偶然にも豊田佐吉翁の豊田式自働繊機の完成
時期である。
ヘンリー・フォード1世は総合産業といわれる自動車産業を完成
した人だけあって、自動車に使われるあらゆる資材に関して詳し
く知っていた。鉄鋼についても、種々さまざまの金属類、非鉄金
属類についても、また繊維関係についても、すべて自分の手で事
業化しただけに、単なる知識ではなく、体で覚え込んでいたとい
ってよい。
そのヘンリー・フォード1世が既成の概念にとらわれることなく、
ものごとを弾力的に考えるよう、自らの経験を語っているなかに
次の織物の話がある。
■■ ヘンリー・フォード1世の経験 ■■
紡績と織布の技術は、長い年月を経て伝えられてきたもので、ほ
とんど神聖化されているといってもよいほど、数多くのしきたり
で取り囲まれている。織物工業は動力を最もはやくとり入れた工
業の1つであったが、また幼年労働者を使用した最初のものであ
った。多くの織物業者は、低コストの生産は低賃金でなければ不
可能であると頭から信じている。この工業がこれまでに達成した
技術的業績には著しいものがあるが、誰でもしきたりにとらわれ
ないまったく自由な立場で、この産業に入っていけたかどうかは、
また別の問題である。
古いしきたりで神聖化してしまっている織物工業に佐吉翁の自働
織機は1つの変革を与えたにちがいないのだが、この時期はもっ
と前であったろう。
ともかくヘンリー・フォード1世の発想と具体的な事業展開には
目を見張らされる。
われわれは、日々の生産に、1日10万ヤード以上の綿布と25,000
ヤード以上毛織物を使用する。(中略)当初、われわれは綿布を使
用しなければならないことを当然のこととしていた。それ以前に
は、自動車の幌や人造皮革の基礎原料に木綿以外のものを使用し
たことは一度もなかった。それで手始めに1基の紡績機械を入れ
て、実験を始めた。だが、しきたりにとらわれるということがな
かったので、実験開始後まもなく、「綿布はここで使用できる最良
の材料なのだろうか」という疑問が生じてきた。
そうこうしているうちにわれわれは、これまで綿布を使っていた
のは、綿布が最上の布であるからではなく、綿布が最も入手しや
すかったからだということがわかった。麻布は、綿布よりも強い
はずであった。なぜなら、布の強さは織維の長さによって左右さ
れており、亜麻の織維は今までに知られている中でいちばん長く
かつ最も強いものの一つであったからである。綿はデトロイトか
ら数1,000マイルも離れたところで栽培されなければならなかっ
た。
(中略)
亜麻はミシガン州とウィスコンシン州で栽培することができるの
で、すぐ使用できる状態で手近に供給をうけることが可能である。
しかし麻布の生産には、木綿にもまして多くのしきたりがあり、
非常に多くの手作業が不可欠であると考えられていた。この国で
はこれまで麻布の生産を手広く行なうことのできるものはいなか
ったのである。
(中略)
われわれはデイアボーンで実験を開始し、その結果、亜麻が機械
によって処理できるということを証明した。この事業はすでに実
験段階を過ぎ、その採算の可能性が実証されるに至っている。
■■ 最良の材料なのだろうか ■■
私はフォードの着目した「綿布はここで使用できる最良の材料な
のだろうか」というところに興味をひかれる。
なにごとでもそうだが、人間はフォードの指摘するとおり、長い
間のしきたりで動いてしまう。それは個人生活の場では許される
かもしれないが、工業の場にある企業のなかでは悪いしきたりは
排除していかなければならない。
ヘンリー・フォード1世の旺盛なる企業家精神の一端を、亜麻の
栽培から工業生産に乗せていく件でまざまざと感じる。
現状に甘んじているところからは、一片の進歩たりとも生まれて
こない。生産現場の、改良・改善についても同じことで、ただ漫
然と歩いていたのでは、疑問符1つさえ投げかけることはできま
い。
私はいつも物事をひっくり返してみるようにしてきたが、フォー
ドの文章を読むと、見事な逆転の発想を再三やっていて大いなる
刺激を受ける。
■■ 量とスピードからの脱却 ■■
いま私が読んでいるこのヘンリー・フォード1世の著作『今日、
そして明日』は1920年代、いまから半世紀も前に書かれたもの
であることを忘れないでほしい。その時期がヘンリー・フォード
1世にとってどのような意味をもっていたか。その後、フォード
の人生は挫折と復帰、成功と失敗を繰り広げつつ舞台を去ってい
くのだが、この著をものした時期は、ヘンリー・フォード1世の
経営が頂点に達し、高い展望台に立って今日を見、明日を見通す
ことができた幸せの日々であった。
私は、現在あるアメリカの大量生産方式、そして日本も含めて世
界に根付いてしまったアメリカ型の大量生産方式は、ヘンリー・
フォード1世の本意ではなかったのではないかという疑念を長い
間いだいてきた。そのために、私はヘンリー・フォード1世の思
想の原点をつねに求めている。