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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.415 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** トヨタ物語17 ***
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今回からトヨタ物語に戻りたいと思います。私がセイコーエプソン
の前身の諏訪精工舎に入社して数年後のことですが、トヨタの大野
耐一氏が会社に招聘されて、我々社員は彼の講演を聞く機会を得ま
した。その時(1970年代)の講演録からお話をさせていただきます。
以下はすべて大野氏の話です。
日本がJapan as No.1と称される「ものづくり大国」への道をひた
すら歩んでいた頃の話で「品質不正」話の後には一服の清涼剤とし
て耳に心地よいのではないかと思います。
■■ アメリカに追いつけ ■■
私はアメリカのまねがすべていけないといっているのではない。自
動車王国のアメリカから学んだものは多い。QC(品質管理)とか
TQC(総合的品質管理)などのすばらしい生産管理技術や経営管理
技術をアメリカは生み出し、日本はそれらを導入して成果をおさめ
た。IE(インダストリアル・エンジニアリング)もまたしかりであ
る。しかし、これらの技術はあくまでアメリカの風土から生まれた
こと、つまりアメリカ人の努力によって生み出されたものであるこ
とを、日本人は、しかと踏まえておかなくてはいけないと思う。
昭和20年8月15日、この日は日本敗戦の日であり、新たなる出発
のときでもあった。当時のトヨタ自工社長の豊田喜一郎氏(1894~
1952年)は「3年でアメリカに追いつけ。そうでないと日本の自動
車産業はなり立たんぞ」と言われた。そのためにはアメリカを知ら
なければならなかった。アメリカに学ばなければならなかったはず
である。昭和12年ごろ、私は当時、豊田紡績の紡績現場にいたが、
ある人から、日本とアメリカの工業の生産性は1:9であると聞い
た。最初、その人がドイツへ行ったとき、ドイツ人は日本人の3倍
の生産をしていると言っていた。そしてドイツからアメリカへ行っ
たら、ドイツとアメリカが1:3だった。だから、日本とアメリカ
とは1:9だということになったのである。アメリカ人が1人でや
ることを、日本人は9人もかかっていると聞いて、大いに驚いた
ことを記憶している。
■■ 日本の生産性 ■■
昭和20年、進駐軍が上陸して間もなく、マッカーサー元師によっ
て日本の生産性はアメリカの8分の1であることを知らされた。そ
れでは戦争中に9分の1から8分の1になったのかなと思ったが、
とにかく豊田喜一郎社長は、3年で追いつけという。3年で生産性
を8倍なり9倍あげるのはたいへんなことではないか。100人で
やっている仕事を10人でやらなければだめではないか。しかも、
8分の1とか9分の1というのはあくまでも平均値であって、ア
メリカでもっとも発達している自動車産業に比べれば8分の1程
度ではむろんないだろう。しかし、アメリカ人が体力的に10倍の
力を出しているわけでもあるまい。日本人は何か大きなムダなこと
をやっているにちがいない。そのムダをなくすだけで、生産性は
10倍になるはずだと考えたのが、今のトヨタ生産方式の出発点で
あった。