Author Archives: 良人平林

再発防止策を考える | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.401 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** 再発防止策を考える ***
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(一社)日本品質管理学では2023年1月、JSQC-TR 12-001:2023
「テクニカルレポート品質不正防止」全65頁を発行しました。そ
の中には,学会が選んだ品質不正の18社の事例について、なぜ品
質不正が行われたかの要因、原因を第三者委員会調査報告書から抜
粋して説明しています。ただ18社の事例には前回400号で述べた
総合電機メーカーは含まれていません。

■■ 第三者報告書で説明されている要因,原因 ■■
過去5,6年の間に品質不正を起こした(発覚した?)企業はすべ
て世に名が知られた大企業ばかりです。
18社の第三者報告書で説明されている要因,原因は8項目に集約
されます。
その8項目とは次の通りです。
1.コンプライアンス意識がない。
2.品質保証部門が機能不全を起こしている。
3.人が固定化され,業務が属人化されている。
4.収益偏重の経営がされている。
5.監査が機能していない。
6.工程能力がないのに生産している。
7.管理がされていない。
8.教育がされていない。
これからその1つずつについて検証していきたいと思います。

■■ コンプライアンス意識がない ■■
まず、「コンプライアンス意識がない」という要因についてです。
18社中13社(72%)が「コンプライアンス意識がない」ことを
品質不正の要因として挙げています。各組織は,次のような記述
で「コンプライアンス意識がない」ことを説明しています。
-経営層の品質コンプライアンス意識が不足していた。
-経営者は、不適切行為が継続されていることを認識しながら
 是正しなかった。
-品質コンプライアンスに関して十分な体制が整備されていな
 かった。
-品質コンプライアンス担当役員が不在であった。
-経営者は、コンプライアンス遵守に向けた強い姿勢を明確に
 示し,従業員がその業務の意義や目的を正確に把握し仕事に
 気概を持って取り組むことを指導していなかった。
-当事者の多くはデータ虚偽記載の文書を顧客や行政に提出す
 ることについて,問題であると認識していなかった。
-データの書き換えそのものが虚偽記載となるとは認識してい
 なかった。
-コンプライアンス最優先の経営方針が隅々まで徹底できてい
 なかった。
-強い同調圧力のゆえに,「おかしなことをおかしいと指摘す
 る」,「できないことをできないと言う」ことが困難であった。
-全社におけるコンプライアンス意識が十分でない或いは欠如
 していた。
-不正行為が強く非難される行為であることの認識が欠如又は
 著しく減退していた。
-倫理観,コンプライアンス意識の欠如があった。
-上司や先輩の指示・指導を忖度したり,鵜呑みにしたりする
 罪の意識のない品質不正への関与があった。

■■「コンプライアンス意識がない」のはどうしてか? ■■
上記の記述が同じような内容になっているのは、18社の第三者委
員会調査報告書の中から抽出しているからですが、13社の報告書
に書かれていることは見事に一致していると思います。
なにが一致しているかというと、書かれていることは品質不正が
起きた状況であって、起きた要因、原因ではないという事です。

-経営層の品質コンプライアンス意識が不足していた。
なぜ「品質コンプライアンス意識が不足したのか」を私が勝手に
想定すると次のようなことになります。
(1)経営層は品質コンプライアンス意識が低いとどのようなこと
 が起きるか認識できていなかった。
(2) 経営層はどのようなことが起きるか想定、分析する仕方を知
 らなかった。
(3) 経営層は目の前にある顕在していることの解決だけに時間を
 費やし、潜在している問題について考える時間を持たなかった。
(4) 経営の年間スケジュールに品質コンプライアンス意識に関す
 るイベントが無かった。
(5) 経営層の品質コンプライアンス意識を維持する責任者が決ま
 っていなかった。
(6) 役員同士で品質コンプライアンス意識について議論していな
 かった。

以上の5項目は私がかってに想定して書いたものですので、事実確
認が必要です。事実の確認は経営者自身が行わなければなりません。
経営者が事実を確認できれば、自ずから再発防止策を打つことが出
来ます。例えば(1)が事実あるとすると、再発防止策は「経営層は
品質コンプライアンス意識が低いとどのようなことが起きるか認識
する。」という事になります。どのようにして認識するのか、何時
認識すべきかなどは、続けて考えることになります。
一連の(事象に対する)事実確認、分析、評価を行わなければ有効
な再発防止策を実践することはできません。

再発防止策とは | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.400 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
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*** 再発防止策とは ***
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このメルマガは2009年にスタートさせていただきました。それ
から毎週皆様方にマネジメントシステムに関する話題を送り続け
させていただき今回400回目となりました。記念すべき400号の
話題は何にしようかと考えましたが、ことさら奇をてらうことな
く、今の流れの継続で行きたいと思います。

ここまでトヨタの話をさせていただいてきましたが、一転して話
を品質不祥事に戻したいと思います。品質不祥事も社会的に一段
落したように感じますが、一度芽が出たものを無くすことは簡単
なことではありません。

■■ テクノファフォーラム開催 ■■
テクノファでは3月17日にWEBで「テクノファフォーラム29回:
改めて考える品質不正」を開催しました。山口利昭先生(弁護士)
にはご都合が合わずビデオ出演になりましたが、慶應義塾大学理
工学部 管理工学科 山田秀先生、TQMコンサルタントの安藤之
裕氏、認証機関の大久保友順氏を迎えて講演、及びパネルディス
カッションを行いました。
ここでも話題になりましたが、品質不正に対する再発防止につい
て考えてみたいと思います。

■■ 電機総合メーカの再発防止策 ■■
例えば、昨年10月に出された三菱電機の報告書には次のような
再発防止策が書かれています。

<この不正は当委員会の調査により判明した。神戸製作所におい
ては、既に、社会システム第一部内で毎月末に行われる教育会に
おいて、検査成績書には実測値以外を記載することのないように
指導をする等の再発防止策が講じられている。>
不正が行われたことに対して、教育会で指導をすることは再発防
止策としては不十分です。現状を反省し修正する手段としては有
効かもしれませんが、将来に向けて再発しないという観点から、
今一歩踏み込んだ対策が必要であると考えます。
メーカである事業所において常識的なことである「検査成績書に
は実測値以外を記載することはしてはならない」という事を指導す
るのは再発防止策ではないと考えます。なぜならば、程度の違い
はあるにしても、このようなメーカとして常識的なことは全従業
員に周知されていたはずです。結果から見て周知されているはず
のことが周知されていなかったのですから、再度周知を徹底する
という事は必要でしょう。しかし、してはならないと周知されて
いたはずのことが行われてしまっていたことに対する分析、評価、
対策が無いと又同じことが起きると思います。してはならないこ
とをしてしまったことには、それなりの理由があるはずです。ど
うして、してはならないことをせざるを得なかったのか、どのよ
うな理由で行ったのかを調査、分析し、その結果に対して対策を
取らないと、ほとぼりが冷めた頃にまた同じことが起きると思い
ます。

■■ 再発防止策を考える ■■
<赤穂工場においては、職場単位で品質不正を防止する施策につ
いてディスカッションを行い、系統変電システム製作所幹部と共
有すること、内部監査において試験現場を確認し、生データの確
認を行うこと、品質保証監理部が設計デザインレビューにおいて
規格・顧客仕様に合致した設計結果となっているかを確認するこ
と、品質保証監理部において試験結果と試験成績書の記載値に齟
齬がなく、試験結果が仕様値を満足していることを確認し、出荷
判定を行うこと等の再発防止策を講じている。>

赤穂工場における再発防止策としては、次の4点が上げられてい
ます。
(1)職場単位で品質不正を防止する施策についてディスカッショ
 ンを行い、系統変電システム製作所幹部と共有すること。
(2)内部監査において試験現場を確認し、生データの確認を行う
 こと。
(3)品質保証監理部が設計デザインレビューにおいて規格・顧客
 仕様に合致した設計結果となっているかを確認すること。
(4)品質保証監理部において試験結果と試験成績書の記載値に齟
 齬がなく、試験結果が仕様値を満足していることを確認し、出
 荷判定を行うこと。

(1)~(4)は再発防止策の入り口に立つ活動であって、再発防止策と
は呼べません。「ディスカッションを行い幹部と共有する」ことを
しては、起きたことへの反省であり今後同様なことが起きない歯
止めにはならないと思います。同様に「内部監査において試験現
場を確認し、生データの確認を行うこと」も内部監査のあるべき
姿を確認することであり、再発防止策ではないでしょう。あるべ
きことがどうして行われなかったかの原因を突き止めないとまた
再発するでしょう。「設計デザインレビューにおいて規格・顧客
仕様に合致した設計結果となっているかを確認する」こともDR
における当然実施すべきことであり、このことを再徹底するとい
う事は必要です。しかし、再発防止に必要なことは、「どうして当
然DRで行われるべきことが実施されなかったのか」の原因究明
とその原因を取り除くことのはずです。さらに「試験結果が仕様
値を満足していることを確認し、出荷判定を行う」ことも製造メ
ーカとしては当然行うべきことであり、再確認、再徹底すること
は必要かもしれません。しかし、これが再発防止策であるとする
ならば、将来また同じことが起きるかもしれません。

トヨタ物語13 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.399 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** トヨタ物語13 ***
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テクノファでは3月17日にWEBで「テクノファフォーラム29回」
を「改めて考える品質不正」と題して開催します。
慶應義塾大学理工学部 管理工学科 山田秀先生、山口利昭法先生
(弁護士)、安藤之裕氏、大久保友順氏を迎えて講演、及びパネル
ディスカッションを予定しています。品質不祥事と真逆な話がト
ヨタ創業期の話です。トヨタ創業時の話を聴くと近年の品質不祥
事の話と大きなギャップを感じます。竹がまっすぐ成長する青年
と葉が枯れだした老木との違いのごとくです。下記の記述は1970
年頃に私が聞いた大野耐一氏(当時副社長)の講演記録からです。

■■ フォードの後にフォードなしか ■■
私はフォード・システムに代表されるアメリカの、いや現在では
世界を支配する大量生産方式の原点をフォードの人と業にもとめ
てきた。トヨタ生産方式も「流れ作業」という点では、フォード・
システムから学んだ点は多いのであるが、フォード・システムは
あくまでアメリカの風土のなかに生まれたものであること。そし
てフォード・システムが自動車の大衆化時代をもたらしたT型フ
ォードの量産の形で生み出されたことを十分に考えた上で、私は
日本の風土に適した日本式の生産方式があるのではないかと求め
てきた。
フォード・システムの「流れ作業」がフォード社も含めたアメリ
カの自動車企業のなかでどのように展開されてきたかについて、
私はヘンリー・フォードの真意が正確に理解されなかったのでは
ないかと思う。部下の人々はむしろ流れをせきとめるような、ロ
ットをできるだけ大きくしてつくるやり方を定着させてしまった。
その理由はどこにあったのだろうか。フォードの窮極のねらいが
明らかにならないうちに、アメリカの自動車市場における競争が
激化し、自動車の本家を自認していたフォード社自体がライバル
のGMに急追されるに至り、フォード・システムの正しい展開を
考えるどころではなくなったのであろうかとも考えた。

■■ GMの元会長のA・P・スローン ■■
1920年代のアメリカ自動車市場が大転換期であったことは、GM
の元会長のA・P・スローン・ジュニアの著作『GMとともに』
(田中融二、狩野貞子、石川博友訳)に詳細に書き留められてい
る。その書によると、1924年から1926年にかけて、アメリカの
自動車市場を一変させるような事件が起きた。それは1908年以
後、T型フォードの発売によって、それまで長らく続いていた限
られた高級市場時代から、一挙に大衆市場時代へ変わったことに
も匹敵する大変化である。
すなわち、ヘンリー・フォード1世の「自動車は廉価な基本的運
輸手段である」という考え方が市場を支配していた時代から、ス
ローンのいう「絶えず向上を続ける大衆車、言い替えれば、より
豊かに変化する大衆高級車市場の時代」へ変わった。

自動車産業の発展に端を発して、1920年代には、アメリカ経済
は新しい上昇期に入った。それに伴って新たな要素があらわれ、
再び市場が変化し過去と現在とを区分する分岐点が生じたのであ
る。
これらの新たな要素を大別すると、割賦販売、中古車の下取り、
セダン型の車体、アニュアル・モデル(毎年の新型車)の4つに
わけられる。(もし自動車の環境を考慮に入れるならば、改善さ
れた道路をこれに加えたい)。これらの要素は今日の自動車産業
に深く根を下ろしているので、これらを除外して考えることはほ
とんど不可能である。1920年前とその後しばらくは、車を買う
人ははじめて車をもつ人に限られ、代金は現金か、特殊の借入金
で支払った。車種はロードスターか、ツーリング車が多く、型は
1年前と変わらず、翌年も変わりそうもないものが選ばれた。こ
のような状態はしばらく続き、型が変わってもクライマックスに
達するまでは、その変化は目立たなかった。というのは、おのお
の新しい要素が別々に変化しはじめ、別々な速度で発展を遂げ、
最後に相互に作用して完全な変化を遂げたからであった。

この市場の大変化を、GMのスローンはチャンス到来とばかりに
とらえ、より豊かに変化する大衆高級車市場に、例のGM独特の
戦略であるフル・ライン政策をかかげて市場ニーズを消化してい
くのであるが、いまでいうこの市場の「多様化」現象に自動車企
業は製造面でどう対応したのか。

■■ 競争の激化とトヨタ生産方式 ■■
T型フォードの量産時代から、GMのフル・ライン・ポリシーの
時代に入ると、各生産工程も複雑化してくるのは当然である。多
種類の車をつくってコスト・ダウンするために、部品の共通化が
格段に進歩したことは明らかなのだが、フォード・システムが大
幅に手直しされて、市場の「多様化」に応じて、画期的な生産シ
ステムをつくり上げたとはどうしても思えない。
「市場の多様化」に応じたワイド・バリエーションによって、価
格政策の妙を盛んに発揮しだすのはこのころであるが、生産現場
では、私からみると、未完成のままのフォード・システムがその
時期に根深く定着していったように思われる。
私はトヨタ生産方式を作り上げる過程で、多種少量という日本の
市場特性をいつも頭に置き、少種大量というアメリカの市場特性
とは違うのであるから、日本の生産方式を生み出さなければなら
ないと考えてきた。
いまトヨタ生産方式にのっとって市場ニーズを受けとめ生産して
いてつくづくと考えることは、日本的風土である多種少量を前提
に練り上げてきたトヨタ生産方式にとって多種大量の条件はむし
ろ望ましいことであって、それだからこそ、成長した日本市場で
効果を発揮していることを強調したいのである。同時に、トヨタ
生産方式がスローンの時代以来、多種大量の自動車市場になった
アメリカでも通用するものであると私は考えている。

トヨタ物語12 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.398 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** トヨタ物語12 ***
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テクノファでは3月17日にWEBで「テクノファフォーラム29回」
を「改めて考える品質不正」と題して開催します。
慶應義塾大学理工学部 管理工学科 山田秀先生、山口利昭法先生
(弁護士)、安藤之裕氏、大久保友順氏を迎えて講演、及びパネル
ディスカッションを予定しています。品質不祥事と真逆な話がト
ヨタ創業期の話です。トヨタ創業時の話を聴くと近年の品質不祥
事の話と大きなギャップを感じます。竹がまっすぐ成長する青年
と葉が枯れだした老木との違いのごとくです。下記の記述は1970
年頃に私が聞いた大野耐一氏(当時副社長)の講演記録からです。

■■ フォード1世の後継者たち ■■
ヘンリー・フォード1世の後継者たちは、必ずしもフォードの意
図した生産の流れをつくらなかった。機械加工も、プレスも、流
れをせきとめてダムをつくるような、「ロットは大きければ大きい
ほどよい」という考えを定着させてしまった。トヨタ生産方式を
実現する過程で、生産現場の旧態依然たる「流し作業」を「流れ
作業」に変えるには、それこそ人間の頭脳を機械に移植する作業
の積み重ねであった。「ジャスト・イン・タイム」と「自働化」
の2本柱はそれを実現させるための手段であり、かつ目的ともな
ったことを改めて思い知らされる。

■■ 貯めることの弊害 ■■
自然の災害に備えて人間が貯えをすることは農耕民族の長い間の
習慣からきていると思う。しかし、いつも外の世界と連動してい
る企業が、どうして自分だけの安全のために、品物をため込む必
要があるのか。そのため込む気持が、企業のムダのもとをなして
いる。新しい機械を買ったら、どうして能力いっぱいにいつも動
かしておかなければならないのか。機械の調子がよいときに、沢
山つくっておこう、機械の故障に備えて、つくれるときにはつく
れるだけつくっておこうというのが、いまなお広く深く定着した
考え方である。
トヨタ生産方式における「ジャスト・イン・タイム」の考え方、
つまり「必要な品物を、必要なときに、必要なだけ」手に入れる
ことができれば、確かに余分の原材料も、余分の製品も手持ちす
る必要はない。機械が止まってつくれなくなったらどうするか。
「かんばん」方式でいう後工程が前工程へ必要な品物を引き取り
にいったとき、機械が止まってつくれない場合はどうするか、確
かに困るにちがいない。

■■ 治療より予防 ■■
そこで、トヨタ生産方式は「予防」というニーズを生産現場の全
工程に浸透させることになった。機械の故障を前提として在庫を
もつとするなら、なぜそれ以前に、機械の故障を未然に防ぐこと
を考えないのか。私はトヨタ生産方式がしだいにトヨタ自工内、
さらに外部へと広がり浸透していく過程で、機械の故障、工程の
不具合をいかに防止するかをみんなに工夫してもらった。トヨタ
生産方式には予防医学がしっかりと組み込まれている。
ヘンリー・フォード1世は企業の社会的使命として、あの有名な
フォード財団をはじめ、病院や学校をつくった。病院をつくると
きには、フォード一流の健康、病気、治療、予防などに対する見
識が公表されることになる。
前にかかげたヘンリー・フォード1世の著作のなかに「治療と予
防」という文がある。完全な食物ができれば、健康が保たれる、
つまり病気が予防できるとフォードは真剣に論じている。

一流の医師たちは、たいていの軽い病気の治療法は薬ではなく食
物にある、ということに同意しているようである。それならば、
治療以前の問題としてなぜ病気を予防しようとしないのか。そし
てこの問題をつきつめていけば、次のような結論を導くことがで
きる。悪い食物が病気の原因であるとすれば、完全な食物は健康
のもとである。そしてもしこれが事実なら、われわれは完璧な食
物を追求し、それを見つけ出すべきである。この完璧な食物が見
つけ出されたとき、世界はその最も偉大な前進の第一歩を踏み出
すことであろう。

このような遠大な科学研究のテーマを企業経営のニーズとして取
り組んだほうが、独立した研究機関でやらせるより、実現の可能
性が強いだろうとフォードは指摘している。この予防の考え自体
が、フォード・システムの根幹をなす「流れ作業」に不可欠のも
のであるとは言及していないが、「流れ作業」を発明した男がこう
いうことも考えていたのかと、興味深く「治療と予防」を読んだ
のである。
トヨタ生産方式の2本柱である「ジャスト・イン・タイム」と
「自働化」相互の関係のところで、お互い補完し合いながら、体
質の強い生産ラインをつくり上げると私は述べた。体質の強い生
産ラインは、そのまま体質の強い企業に通じる。トヨタの強い体
質は治療によってではなく、むしろ「予防医学」によってつくり
出されたといってよい。

トヨタ物語11 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.397 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
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*** トヨタ物語11 ***
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トヨタ創業期の話と近年の品質不祥事の話には大きなギャップが
ありますが、この違いはどこから来るのか、考えさせられます。

下記の記述は1970年頃に私が聞いた大野耐一氏(当時副社長)の
講演記録からです。

■■ 標準とは自らつくり出すもの ■■
「大野が見るフォード1世 」の続きです。
かつて昭和12~13年、私がまだ豊田紡織に在籍していたころ、
上司に「紡績の標準作業を書いてみよ」と言われて、たいへん
困りました。以後、標準作業の「標準」とはいったい何かにつ
いてあれこれ考え続けた。標準作業において考えられる要素は、
人と機械と物であって、常にそれらが相互に有効に組み合わさ
っていないと、効率的な生産を行なうことは不可能である。働
く人間が疎外されるからです。
「標準」とは生産現場の人間がつくり上げるべきものです。決
して上からのお仕着せであってはならない。しかし、企業全体
の大きなデザインのなかで、工場全体のシステムが設定されて
こそ、生産現場の各部分の「標準」も緻密で弾力的なものとな
るはずです。その意味では、「標準」とは生産現場の「標準作
業」だけでなく、企業トップの概念としてとらえておかなけれ
ばならないと考えます。そこでヘンリー・フォード1世の意見
をたたき材料にさせてもらいます。

■■ フォード1世が考えた標準 ■■
標準(スタンダード)の設定には慎重な態度が必要である。な
ぜなら、標準はともすると正しいものより間違ったものを設定
することになりがちだからである。標準化には「惰性」を表す
ものと「進歩」を表すものがある。したがって標準化について
漠然と議論することは危険である。視点には生産者側のものと
消費者側のものとの2つがある。たとえば、政府の委員会や各
省が、同じ生産物にいかに多くのスタイルがあり、また多様性
があるかを各産業部門ごとに調査し、無駄な重複であると認め
たものを排除して、標準と称するものを設定したとしよう。こ
れによって公衆は利益を受けるであろうか。全国を1つの生産
単位として考えねばならない戦時下の場合を除いて、その答は
まったく否である。それはまず第1に、おそらくどんな団体も
標準を設定するのに必要な知識をもつことはできないのである。
なぜなら、そうした知識は各製造部門内部から得られるもので、
決して外部から得られるものではないからである。第2に、た
とえ彼らがそうした知識をもっていたとしても、その標準は、
おそらく一時的には経済に効果を与えるかもしれないが、結局
は進歩を妨げることになる。なぜなら製造業者は公衆のために
ではなく、標準のためにものをつくることで満足するようにな
り、人間の能力も鋭くなるどころか、かえって鈍くなるからで
ある。

■■ フォード1世に同感する大野氏 ■■
ヘンリー・フォード1世の考え方のなかに、標準とは上から与
えられるものではないという強い信念が感じとれるが、それは
相手が国であっても、企業トップであっても、工場長であって
も、どのような上司であっても、要するに「標準」を設定する
人間は、たとえば企業においては生産現場の当事者がせよ、そ
うでないと「進歩」のための標準にはなりえないことを強調し
ている。同感である。もう少しフォードを読んでいこう。「標
準とは何か」を追求しつつ、フォードは私企業の未来、産業の
未来にまで考えをおよばせていく。

産業の終着点は、人々が頭脳を必要としない、標準化され、自
動化された世界ではない。その終着点は、人によって頭脳を働
かす機械が豊富に存在する世界である。なぜならそこでは、人
間は、もはや朝早くから夜遅くまで、生計を得るための仕事に
かかりきりになるというようなことはなくなるだろう。産業の
真の目的は、1つの型に人間をはめこむことではない。また働
く人々を見かけ上の最高の地位にまで昇進させることでもない。
産業は、働く人々をも含めて公衆に、サービスを行うために存
在する。産業の真の目的は、この世の中をよくできた、しかも
安価な生産物で満たして、人間の精神と肉体を、生存のための
苦役から解放することにある。その生産物がどこまで標準化さ
れるかは、国家の問題ではなく、個々の製造業者の問題である。

ここには、ヘンリー・フォード1世の先見性がはっきりと出て
いる。そして、フォードとその協力者たちの発明し開発したオ
ートメーション・システムというか、「流れ作業」が決して、機
械が人間を振り回し、人間疎外を引き起こすことを意図したも
のでないことがわかる。

なにごともそうだが、創造した人間の意図がどんなに立派なもの
でも、それがそのまま展開されていくとはかぎらない。