Category Archives: つなげるツボ

トヨタ物語16 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.407 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
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*** トヨタ物語 16 ***
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今回の話は1970年頃に私が聞いた大野耐一氏(当時副社長)の
講演(講演録)記録からです。ここに書かれている時代は、第二
次世界大戦前の1920年代であり、トヨタが織機メーカから自動
車メーカへと変身し始めた頃の回想録です。

■■ アメリカの世相 ■■
1920年代、フォード繁栄の時期のアメリカの世相をのぞいてみ
る。自動車製造に限らず生活全般において、われわれの動きは速
すぎるのだろうか。苛酷な労働により労働者がすっかり消耗して
いるとか、いわゆる進歩というものが、別の何かを犠牲にして達
成されているとか、また効率という名のもとで、生活の優雅な面
がしだいに破壊されつつあるとかいうことが、しばしば言われて
いる。
今日、生活にバランスが欠けており、またこれまでも、ずっとそ
うであったということは、否定できない。最近になるまで、たい
ていの人々は暇がなく、またあっても、それをいかに利用すべき
かを知らなかった。われわれにとって重大な問題の一つは、仕事
と娯楽睡眠と食事のバランスをとることであり、突き詰めると人
間と病気と死についての原因を究明することである。

■■ どちらがより良いか ■■
確かに社会は昔よりも速く動いている。より正確にいえば、より
速く動かされている。しかし、舗装されていない道を4時間もか
かって辛抱強く歩くのと、自動車で20分で行くのと、いったい
どちらが楽でどちらが辛いであろうか。目的地に着いたときに、
旅行者はどちらがなお元気でいるだろうか。またどちらが時間と
気力の節約になるであろうか。さらに近い将来には、自動車では
数日かかる旅行も、飛行機では1時間で行けるようになるだろう。
そうなったとき、われわれは神経的に参ってしまうのだろうか。
現在、われわれはすべて神経衰弱になりつつあると言われている
が、こうした状態は、現実に起こっているものなのか、それとも
単に本に書かれているだけのものなのか。労働者の神経は疲労し
きっているということが、さまざまな書物で述べられているが、
実際に労働者自身の口から聞いた者がいるのだろうか。(中略)
あの「効率」ということばが憎まれるのは、効率ではないことま
でが、効率という仮面をかぶってきたからである。効率とは、ま
ずい方法をやめて、われわれが知り得るかぎりでの最もよい方法
で仕事をするという簡単なことである。それは背中にトランクを
背負って丘を登るよりも、トラックで運ぶことである。それは労
働者がより多く稼ぎ、より多く所有し、より安楽に暮らせるよう
に、かれらを訓練し、かれらに力を与えることである。1日数セ
ントのために、長時間働く中国のクーリーより、自分の家や自動
車をもっているアメリカの労働者のほうが恵まれている。一方は
奴隷であり、他方は自由人である。

■■ 1980年頃の話 ■■   
半世紀前と現在とでは、大きな変化が生まれている。中国の事情
などは大変化している。私は最近(1977年9月15日~9月28日)、
中国の工業を見てきたが、熱心に近代工業化を進めようとしていた。
私はヘンリー・フォード1世の時代から、私どもが戦後、トヨタ
生産方式に着手し現在にいたるまで、そして中国が新たに目ざす
工業の下で、普遍的な要素としてフォードの指摘した真の「効率」
というものがあると思うのである。
「効率とは、まずい方法をやめて、われわれが知り得るかぎりの
最もよい方法で仕事をするという簡単なことである」とへンリー・
フォード1世は指摘する。「効率」とはけっして量とスピードの関
数ではない。フォードの問題提起にもあるように、「われわれの動
きは速すぎるのだろうか」という命題を自動車産業について考えて
みると、量とスピードを二大ファクターとして効率を追求してきた
ことは否定できないことであるが、トヨタ生産方式は終始、つくり
過ぎを押える、常に市場ニーズに対応できるつくり方をしてきた。

高度成長時代には市場ニーズが旺盛のために、つくり過ぎのロスが
表面化しなかったが、低成長時代にはつくり過ぎがいやが応でも露
呈してくる。そのムダこそ量とスピードのみを追求する結果である。
トヨタ生産方式の特徴として「ロットを小さく、段取り替えをすみ
やかに」ということを説明したが、実はこの考え方の基本には、生
産の流れをつくることによって、どっしりと根を下した「より速く、
よりたくさん」の既成観念を変革していく意図がある。
実を言えば、トヨタ自工内部においても、プレス部門、樹脂成型部
門、鋳造部門、鍛造部門などは、組立ラインや機械加工の流れのよ
うに、全体の生産の流れのなかにしっかりと定着させることはなか
なかむずかしい。
たとえば、大型プレスの「段取り替え」作業も訓練によって3分と
か5分とか、他社に比べると驚くべき時間に短縮されているが、今
後、流れを完成させていくにつれ、そのスピードを「より遅く」し
ても十分に間に合う状態をつくり出すことができる。
トヨタ生産方式は、量とスピードを追求するあまり、いたずらにロ
スを生み出してしまうマス・プロダクションとマス・セールスへの、
いわばアンチ・テーゼである。

トヨタ物語15 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.406 ■□■
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*** トヨタ物語 15 ***
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トヨタ創業時の話を聴くと近年の品質不祥事の話と大きなギャッ
プを感じます。竹がまっすぐ成長する青年と葉が枯れだした老木
との違いのごとくです。下記の記述は1970年頃に私が聞いた大野
耐一氏(当時副社長)の講演記録からです。

■■ 逆転の発想と企業家精神 ■■ 
ヘンリー・フォード1世のこの著作『今日、そして明日』(Today
and Tomorrow)は、彼の絶頂期の1926年にアメリカで公にされ
ているが、じつはこの1926年はアメリカの自動車市場にとって
大転換期に当たっている。この変化の内容については後に触れる
が、要するに、この時期はヘンリー・フォード1世の絶頂期であ
ると同時に、皮肉なことには「明日」にはGMに追い上げられ、
下降期に入っていくのである。この1926年という年は日本の大
正15年に当たり、偶然にも豊田佐吉翁の豊田式自働繊機の完成
時期である。
ヘンリー・フォード1世は総合産業といわれる自動車産業を完成
した人だけあって、自動車に使われるあらゆる資材に関して詳し
く知っていた。鉄鋼についても、種々さまざまの金属類、非鉄金
属類についても、また繊維関係についても、すべて自分の手で事
業化しただけに、単なる知識ではなく、体で覚え込んでいたとい
ってよい。
そのヘンリー・フォード1世が既成の概念にとらわれることなく、
ものごとを弾力的に考えるよう、自らの経験を語っているなかに
次の織物の話がある。

■■ ヘンリー・フォード1世の経験 ■■
紡績と織布の技術は、長い年月を経て伝えられてきたもので、ほ
とんど神聖化されているといってもよいほど、数多くのしきたり
で取り囲まれている。織物工業は動力を最もはやくとり入れた工
業の1つであったが、また幼年労働者を使用した最初のものであ
った。多くの織物業者は、低コストの生産は低賃金でなければ不
可能であると頭から信じている。この工業がこれまでに達成した
技術的業績には著しいものがあるが、誰でもしきたりにとらわれ
ないまったく自由な立場で、この産業に入っていけたかどうかは、
また別の問題である。
古いしきたりで神聖化してしまっている織物工業に佐吉翁の自働
織機は1つの変革を与えたにちがいないのだが、この時期はもっ
と前であったろう。
ともかくヘンリー・フォード1世の発想と具体的な事業展開には
目を見張らされる。
われわれは、日々の生産に、1日10万ヤード以上の綿布と25,000
ヤード以上毛織物を使用する。(中略)当初、われわれは綿布を使
用しなければならないことを当然のこととしていた。それ以前に
は、自動車の幌や人造皮革の基礎原料に木綿以外のものを使用し
たことは一度もなかった。それで手始めに1基の紡績機械を入れ
て、実験を始めた。だが、しきたりにとらわれるということがな
かったので、実験開始後まもなく、「綿布はここで使用できる最良
の材料なのだろうか」という疑問が生じてきた。
そうこうしているうちにわれわれは、これまで綿布を使っていた
のは、綿布が最上の布であるからではなく、綿布が最も入手しや
すかったからだということがわかった。麻布は、綿布よりも強い
はずであった。なぜなら、布の強さは織維の長さによって左右さ
れており、亜麻の織維は今までに知られている中でいちばん長く
かつ最も強いものの一つであったからである。綿はデトロイトか
ら数1,000マイルも離れたところで栽培されなければならなかっ
た。
(中略)
亜麻はミシガン州とウィスコンシン州で栽培することができるの
で、すぐ使用できる状態で手近に供給をうけることが可能である。
しかし麻布の生産には、木綿にもまして多くのしきたりがあり、
非常に多くの手作業が不可欠であると考えられていた。この国で
はこれまで麻布の生産を手広く行なうことのできるものはいなか
ったのである。
(中略)
われわれはデイアボーンで実験を開始し、その結果、亜麻が機械
によって処理できるということを証明した。この事業はすでに実
験段階を過ぎ、その採算の可能性が実証されるに至っている。

■■ 最良の材料なのだろうか ■■
私はフォードの着目した「綿布はここで使用できる最良の材料な
のだろうか」というところに興味をひかれる。
なにごとでもそうだが、人間はフォードの指摘するとおり、長い
間のしきたりで動いてしまう。それは個人生活の場では許される
かもしれないが、工業の場にある企業のなかでは悪いしきたりは
排除していかなければならない。
ヘンリー・フォード1世の旺盛なる企業家精神の一端を、亜麻の
栽培から工業生産に乗せていく件でまざまざと感じる。
現状に甘んじているところからは、一片の進歩たりとも生まれて
こない。生産現場の、改良・改善についても同じことで、ただ漫
然と歩いていたのでは、疑問符1つさえ投げかけることはできま
い。
私はいつも物事をひっくり返してみるようにしてきたが、フォー
ドの文章を読むと、見事な逆転の発想を再三やっていて大いなる
刺激を受ける。

■■ 量とスピードからの脱却 ■■
いま私が読んでいるこのヘンリー・フォード1世の著作『今日、
そして明日』は1920年代、いまから半世紀も前に書かれたもの
であることを忘れないでほしい。その時期がヘンリー・フォード
1世にとってどのような意味をもっていたか。その後、フォード
の人生は挫折と復帰、成功と失敗を繰り広げつつ舞台を去ってい
くのだが、この著をものした時期は、ヘンリー・フォード1世の
経営が頂点に達し、高い展望台に立って今日を見、明日を見通す
ことができた幸せの日々であった。
私は、現在あるアメリカの大量生産方式、そして日本も含めて世
界に根付いてしまったアメリカ型の大量生産方式は、ヘンリー・
フォード1世の本意ではなかったのではないかという疑念を長い
間いだいてきた。そのために、私はヘンリー・フォード1世の思
想の原点をつねに求めている。

トヨタ物語14 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.405 ■□■
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*** トヨタ物語 14 ***
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依然として品質不祥事が無くなりません。ソーシャルメディアが
以前よりも大きく取り上げないだけで、品質データ改ざんに関す
る不祥事は相変わらず起きています。ちょうど水の底に溜まって
いる泥のようなもので、かき混ぜると見えてくるような様です。
品質不正18社の調査報告書に書かれている要因、原因について
の話はまだ半分ですが、真逆の明るい話?をしたいと思います。
Vol.399からの続きの「トヨタ物語」です。下記の話は1970年
代に私が聞いた大野耐一氏(当時副社長)の講演記録からです。

■■ オイル・ショックで目が覚めた ■■
1973年秋のオイル・ショックをきっかけとして、世間はトヨタ
生産方式に強い関心をもち始めたようである。なにしろ、オイル・
ショックの影響は政府、企業、個人生活いずれに対しても大きか
った。翌年の日本経済はゼロ成長に落ち込み、産業界全体が、一
時は、恐怖のどん底に沈んだ感があった。
不況のために、多くのほうぼうの 会社が非常に苦しんでいたとき
に、トヨタは減益になったものの他社よりも多くの利益を確保で
きたので、世間で注目されるようになった。トヨタという企業は
ショックに強いつくり方をしていると……。
私はオイル・ショックのずっと以前から、トヨタ式の製造技術、
トヨタ生産方式とは何かについて、会う人ごとに話してきたつも
りだったが、その当時はあまり興味をもってもらえなかった。
オイル・ショック以後、1975年、1976年、1977年と時間の経過
とともにトヨタの利益が上がり、他社との格差が大きくなるにつ
れて、トヨタ生産方式が注目され出した。

■■ 生産方式はアメリカ式でよかった? ■■
日本が1973年まで持続してきた高度経済成長時代には、企業の
生産方式はアメリカ式でよかった。ところが、高度成長がとまり、
成長率が低くなってくると、アメリカ式の計画的な量産方式では
やっていけなくなる。日本の工業は、たとえば設備であろうが工
場レイアウトであろうが、みんなアメリカをまねてやってきた。
たまたま2桁の成長率があった時分は、計画的量産方式にのって
非常によかった。
ところが、高度成長がストップし、しかも減産になったとき、従
来の大量生産方式では採算が合わなくなることは目に見えていた。
戦後の1950年、1951年、私どもは自動車の量が現在のように多
くなるとは想像もしていなかった。それよりずっと以前に、アメ
リカでは、自動車の種類が少なくて量産によって原価を安くする
方法が開発され、それがアメリカの風土の中にしみ込んでいたが、
日本ではそうではなかった。
私どもの課題は、多種少量生産でどうしたら原価が安くなる方法
を開発できるか、であった。ところが日本は、昭和1960年から
15年ものあいだ、経済の面で非常な高度成長を遂げたために、
アメリカ式と同じやり方をしても、量産効果が相当いろいろの面
で出た。

■■ 日本人でなければ開発できない ■■
アメリカ式の量産方式をいたずらにまねていたのでは危険である
ことを、私どもは、1950年、1951年から一貫して念頭において
きた。多種少量で安くつくる、これは日本人でなければ開発でき
ないことではないか。そして、その日本人による生産システムの
開発は、いわゆる大量生産方式をも凌駕できるはずだと考え続け
てきた。トヨタ生産方式は、多種少量で安くつくることのできる
方法である。多種大量であればなおさら結構である。要するに、
オイル・ショック以後の低成長時代、コストをいかに安くするか
をめぐって、トヨタ生産方式が世間からクローズ・アップされて
きているように思う。

■■ 「低成長」は恐い ■■
オイル・ショックをきっかけにして世に広まった「安定成長」
または「低成長」なる言葉を、私は冷静に受けとめている。かつ
ての高度成長時代、景気の波は2、3年の好況と、せいぜい半年
の不況というサイクルを描いた。ときには、3年もの好況が続い
たこともあった。「低成長」とは、まさにこれまでの逆のサイク
ル、いや、それ以上に厳しい時代を意味すると思う。経済成長率
6~10%の好況はせいぜい半年ないし1年であり、2、3年は数
パーセントの微成長、悪くすれば1年や2年はゼロ成長以下に落
ち込むことも覚悟しなければならない時代にすでに突入している
と考えている。自動車産業もそうだが、日本の産業界はおしなべ
て、つくれば売れる時代に慣れきってきた。そのために、多くの
経営者の気持ちも量の関数に染まりきっている嫌いがある。
自動車産業では、「マクシー・シルバーストーン曲線」なる語が
しばしば使われてきた。コスト・ダウンの程度にはもちろん限界
はあるが、つくる量がふえるとそれに比例して自動車のコストは
著しく低減していくというこの量産効果の原理は、高度成長期に
いかんなく実証され、自動車産業の関係者の心に染みついてはな
れない。ロットをできるだけ大きくして量産効果をねらう生産方
式、たとえばプレスの動きひとつを例にとってもそうだが、同じ
金型で単位時間内にできるだけたくさん打ち続けるという、生産
方式が通用しない時代に入ったのである。いや、この生産方式は、
通用しなくなっただけでなく、それがあらゆる種類のムダを生み
出していることを知らなくてはいけない。

再発防止策を考える4 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.404 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** 再発防止策を考える4 ***
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(一社)日本品質管理学会では2023年1月、JSQC-TR 12-001:2023
「テクニカルレポート品質不正防止」全65頁を発行しましたが、
その中には,学会が選んだ品質不正の18社の事例について、調査
報告書からの抜粋の形でなぜ品質不正が行われたかの要因、原因が
書かれています。

■■ 説明されている要因,原因 ■■
18社の第三者報告書で説明されている要因,原因は次の8項目に
集約されます。
1.コンプライアンス意識がない。(401号)
2.品質保証部門が機能不全を起こしている(402号)。
3.人が固定化され,業務が属人化されている(403号)。
4.収益偏重の経営がされている。
5.監査が機能していない。
6.工程能力がないのに生産している。
7.管理がされていない。
8.教育がされていない。
これからその1つずつについて検証していきたいと思います。

■■ 収益偏重の経営がされている ■■
今回は4つ目についてですが、18社中の10社(56%)が「収益偏
重の経営がされている」を品質不正の要因としています。
「収益偏重の経営」を品質不正の要因の一つとして挙げている各社
の説明は次のようなものである。
-収益偏重の経営が行われる中で検査員が不足になった,また設備
 が更新されず劣化した。
-赤字が続き工場への人的投資,設備投資は抑制され,製造設備の
 老朽化,陳腐化が進んでいった。
-業務量の増加に応じた検査員の育成・増員計画がなされないまま,
 納期が優先された。
-人員合理化により人員が削減され,検査工程上の時間的余裕がな
 くなった。
-売上至上主義に基づく収益重視に偏った経営が行われた。

■■ 収益を求めることは経営の要である ■■
収益偏重という言葉は誤解を招くようです。収益を求めることは企
業であれば当然のことであり、逆に収益を上げられない会社は社会
からの離脱を余儀なくされます。
「偏重」という言葉にポイントがありそうです。収益という結果に
執着してプロセス(結果を出す経過)にポイントを置かない経営で
あることが品質不正の要因であると説明しているようです。
その内容を見ますと、赤字経営になったので検査員とか設備とかの
資源に必要な資金を投資しなかった、あるいはコストダウンの名前
の下に必要である資源を投下しなかったという様な事がいろいろな
表現で述べられています。

事の因果関係を考えてみましょう。
赤字経営になったのはなぜでしょうか?必要な経費を投じてこなか
ったからではないでしょうか。必要な経費とは検査員、設備だけで
はないでしょう。営業、企画、設計あるいは研究開発にも必要な資
金投資をしなかった結果が赤字経営という結果になったという推論
が適切な因果関係であると思います。

■■ 赤字になった時に打つ手は? ■■
「窮すれば鈍する」という格言があります。
以下、いま話題のチャットGPT※に聞いてみました。

「窮すれば鈍する」という言葉は、日本の諺であり、経済的に困窮
することや環境が厳しい状況に置かれることが、人の能力や才能を
鈍らせる傾向があることを指しています。つまり、困窮や苦境に陥
ると、人間の能力や判断力が低下し、鈍くなってしまうという意味
があります。
この言葉は、人間がストレスや負担を抱える状況に置かれると、集
中力や創造性、判断力などの認知的な能力が低下し、結果的に鈍く
なってしまうことを指摘しています。例えば、経済的な困窮や人間
関係のトラブル、健康上の問題などが原因でストレスを感じた場合、
それによって人間の能力が十分に発揮されず、鈍い状態になると言
われています。
この言葉は、困難な状況に置かれた際には冷静に対処し、能力を最
大限に発揮することが重要であることを教えています。自己管理や
ストレス対処法を身につけることで、困窮や苦境にも冷静かつ的確
に対処することができ、能力を鈍らせることなく、より良い結果を
出すことができるでしょう。

すなわち、経済的に困窮すると能力や判断力が鈍るという事を意味
しています。そして、貧したときこそ冷静に正しい手(自己管理,
ストレス対処)を打つべきであるとチャットロボットは答えてくれ
ています。

赤字になったからコストを削減するのではなく、コスト削減を始め
とする日常管理による効率経営があって赤字経営を避けることが出
来るという正しい因果関係で品質不正の要因分析を進めていかなけ
ればならないと思います。

※ チャットGPTは(Generative Pre-trained Transformer)
「生成可能な事前学習済み変換器」という意味である。

再発防止策を考える3 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.403 ■□■
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*** 再発防止策を考える3 ***
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(一社)日本品質管理学会では2023年1月、JSQC-TR 12-001:2023
「テクニカルレポート品質不正防止」全65頁を発行しましたが、
その中には,学会が選んだ品質不正の18社の事例について、調査
報告書からの抜粋の形でなぜ品質不正が行われたかの要因、原因が
書かれています。

■■ 説明されている要因,原因 ■■
18社の第三者報告書で説明されている要因,原因は次の8項目に
集約されます。
1.コンプライアンス意識がない。(401号)
2.品質保証部門が機能不全を起こしている(402号)。
3.人が固定化され,業務が属人化されている。
4.収益偏重の経営がされている。
5.監査が機能していない。
6.工程能力がないのに生産している。
7.管理がされていない。
8.教育がされていない。
これからその1つずつについて検証していきたいと思います。

■■ 人が固定化され,業務が属人化されている ■■
今回は3つ目についてですが、18社中の11社(61%)が「人の
固定化,業務の属人化」を品質不正の要因としています。各社は,
次のような記述で「人の固定化,業務の属人化」が品質不正の要
因であると説明しています。
-単独かつ固定化した業務体制であった。
-孤立し閉鎖的な職場環境であった。
-縦割り組織になっており、個々の組織は孤立し,属人化し,
 人事の固定化が,不適切行為を長期にわたり発覚させない主
 要な要因ともなっていた。
-最初に所属した職場に留まる人事制度であった。
-人事が固定化していた。
-人事ローテーションがなく,人間関係が固定化していた。
-同じ者が、長期にわたり品質管理業務を担当していた。
-縦割り文化,個人商店化,業務の属人化が要因になっていた。

■■ 業務に熟達することは簡単ではない ■■
私たちはどんな仕事でもその道に熟達すること、プロになること
は簡単ではないことを知っています。試しにちょっと「その道の
プロになるために」でgoogle検索をするとたくさんの事例が出
てきます。

その道のプロになるためには、
・その道を好きになる。
・自身の好奇心を刺激する。
・達成する目標を持つ。
・思ったように行かなくても忍耐強く行う。
・そのことを継続する。
・熟達する、成功するまで行う。
・どん欲に吸収する。
・失敗を恐れない。
など、多くのことが出てきます。
私の周りにもその道のプロがいますが、第一人者たちはその道の
仕事のためなら徹夜も厭いません。そして、何よりも重要だと思
えることは、その仕事を驚異的な期間飽きずに続けていることです。

■■ 業務を長く続けることは? ■■
ここの小タイトルに疑問符を付けたのは、「人が固定化されている」、
すなわち「業務を長く続けている」ことと品質不正の関係性がすん
なりと頭に入ってこないからです。
人があることを継続実行する(業務が固定化される)ことは、その
人がその道のプロになる必要条件でしょう、しかし十分条件ではあ
りません。
では、人が固定化されると品質不正を起こすというのは必要条件で
しょうか、そうとは思えません。それとも十分条件でしょうか、な
おそうとは思えません。
このような推論を続けて辿り着く結論は、「人の固定化」を品質不
正の要因とするにはかなり無理があるという事です。

では「人の固定化」は品質不正と関係がないのかというとそうでも
ありません。人が固定化されるとその人だけが知っていることが増
えて、他人には分からない、隠された部分が増えるということは言
えるでしょう。
つまり何らかの不正が行われても発覚しづらいという事は言えるで
しょう。発生原因ではなく、見逃し原因であるとは言えるかもしれ
ません。