Category Archives: つなげるツボ

余談3 トヨタ | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.384 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** 余談3 トヨタ ***
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トヨタの大野耐一副社長(故人)の講演録(1970年)からお話を
させていただいています。「品質不祥事」(You tube「超ISO」)に
ついて話しをしていますと、気が滅入ってきますので、話しを少
し変えさせていただいています。

■■ ジャスト・イン・タイム  ■■
昭和8年に豊田喜一郎氏は国産大衆車開発の方針を打ち出しました
が、そのなかの一項に「生産の方法は米国式の大量生産方式に学ぶ
が、そのまま真似するのでなく研究と創造の精神を生かし、国情に
合った生産方式を考案する
」とあります。これこそ喜一郎氏の「ジ
ャスト・イン・タイム」発想の原点であると思う。

喜一郎氏が新たに取り組んだ自動車の世界は、裾野の広い総合産業
であり、先を行くアメリカの自動車産業とのギャップを埋めるため
に、先ずいかにして基礎技術を習得するか、次にはどのような生産
技術を個別にマスターし、生産の仕組みを作っていくかに進み、そ
の過程で日本式の製造技術、言い換えると生産システムを探求しな
ければなりませんでした。
喜一郎氏は、基礎技術の習得から、生産技術をものにし、次なる生
産システムとして「ジャスト・イン・タイム」方式を頭に描いてい
たのです。「ジャスト・イン・タイム」こそ、トヨタ生産方式の出
発点であり、しかもシステムの骨格を成している事からも、日本の
オリジナリティを追求するトヨタの思想の流れを読み取ってもらえ
ると思います。

■■ フォード・システム ■■
フォード・システムは、1908年から1913年までの5年間に試行錯
誤の末、開発されたと言われています。フォード・システムのデビュ
ーは、これまた量産車のシンボルともいうべきT型フォードの発売
とほぼ時を同じくしています。フォード式生産システムとトヨタ生
産方式のどこが違うかを明らかにするために、まずフォード式生産
システムとは何であるかを具体的にみてみます。

誰がいちばん的確に語っているのだろうか。フォード・システムは
実際には自分たちがやったのだ、と豪語しているチャールス・E・
ソレンセンというフォード社の元社長が、開発の経過を自ら書きと
めています。この人はもともと生産部門のリーダーで、ヘンリー・
フォード1世が倒れ、2代目のエドセルも退いた後を継いで、フォ
ード社の勢いを保ち、現在のヘンリー・フォード2世に橋渡しをし
た重要な人物です。
彼の著書は示唆があふれていて、フォード・システムの開発、着手
の光景が手に取るように分かるので、彼の著作からその部分を引用
してみます。

部品を(組み立てる場所に)運ぶことは、車を組み立てることより
難しい。我々はいわゆる足の速い部品だけを運び上げることにして、
この問題を徐々に解決していった。エンジンや車軸のような大きな
部品は大きいスペースを必要とした。このスペースをとるために、
小さくまとまって扱いやすいものは、構内倉庫に残しておくことに
した。次いで、われわれは倉庫部門と相談し、梱包して印をつけた
1組の部品を一定時間ごとに3階(組立ライン)に運び上げること
にした。
このようにして部品の扱いを簡単化したので、事態は非常にすっき
りしたものとなった。しかし、私はどうもこの方法が気に入らなか
った。このとき、次のようなアイデアがフッと浮かんだのである。
「もしシャシーを移動したら―まず工場の端からシャシー・フレー
ムを動かし始め、これに車軸と車軸を取り付け、次に部品倉庫をシ
ャシーの所へ持ってくる代わりに、車軸と車軸の付いたシャシーを
部品倉庫の中を通過させたら―組立作業は容易で簡単にでき、速度
も速くなるであろう」というのである。私は建物の一方の端に必要
とする部品を置き、シャシーの移動する線に沿って次々に部品があ
るように床の上に部品を並べさせた。車軸と車輪を取り付けるまで
はシャシー・フレームをソリに乗せ、シャシーの前の部分にロ-プ
を結び付けて、これを引っ張って組立作業をした。それから取り付
けた車軸を利用してシャシーを動かし、部品の間を通過させて組立
作業の実験をした。この動く組立ラインの実験をやりながら、一方
では、部品をシャシーに素早く取り付けることができるように部品
の組立作業(ラジェーターにホース類を取り付けることなど)を行
った。これをシャシーに素早く取り付け、更にステアリング・ギア
とスパーク・コイルを取り付けた。『フォード・その栄光と悲劇』
高橋達男訳より)

フォード・システムの流れ作業をつくり上げるための最初の実験風
景です。この流れ作業の基本形は、世界の自動車企業すべてに共通
のものです。ボルボ方式などのように、1人の人間がたとえばエン
ジン全体を組み上げていくやり方もありますが、主流はフォード式
の流れ作業です。ソレンセン氏の描写風景は1910年前後のことで
すが、その基本パターンは当時もいまも変わりはありません。

トヨタ生産方式もフォード・システム同様、流れ作業を基本にして
いますが、その違いは、ソレンセン氏が部品の置き場所の倉庫にあ
れこれ腐心していたのに比べ、トヨタ式では倉庫が不要なのです。
「ジャスト・イン・タイム」では、必要な部品が、必要なときに、
必要な量だけ、最終組立工程の各ライン・サイドに到着します。

余談2 トヨタ | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.383 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
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*** 余談2 トヨタ ***
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「品質不祥事」についてお話をしています。
You tube「超ISO」の品質不祥事シリーズに沿ってお話をさせてい
ただいておりますが、企業の暗い部分だけでは気が滅入ってしまい
ますので、前向きでチャレンジしたくなるような話を本筋から離れ
てさせて頂こうと思います。50年も前に聴いたトヨタの大野耐一
副社長(故人)の講演録からお話をさせていただきます。

■■ 豊田喜一郎氏の話-バラックでいい  ■■
昭和45年当時、私が諏訪精工舎(セイコーエプソン前身)に
勤務していた頃、当社に講演で来られた大野副社長から聞いた
話をそのままお伝えします。
大野氏は「喜一郎氏は豊田佐吉翁と並ぶ2傑技術屋だ」と言っ
ていました。大野氏はその豊田喜一郎氏が「品質を保つために
いかに良い機械を求めたか、そしてそれらを使いこなすために
いかに努力をはらったか」を次のように話しています。
豊田喜一郎氏が書き残した回顧録からですが、昭和 10 年ころ
の話です。

自動車を作る機械は、それ相当のマシンツールを採用する事に
よって効果を上げますが、それをいかに安くするかという事が
問題です。紡織機の方は種類が多く相当複雑化していますが、
自動車の方は簡単であります。自動車の工作機械は専門的な機
械ではありますが、ファインボーリングマシン、ホーニングマ
シンなどの外国の機械をもってくれば大して間違いはありませ
ん。しかし、外国より進歩したマシンツールを採用しなければ、
外国に負けない優秀で安い自動車は出来ない事は明らかです。

工場建物はバラックでも良いから、機械にはどのくらい金が掛
ってもよいから最高の機械を買入れる事にしました。そうとう
高い機械を何台も買うことになりますが、これは致し方ありま
せん。機械を買う事を躊躇するなら、始めから自動車事業に手
を着けない方がましです。それですから機械にとても金をかけ
ましたので、工場はバラック作りにせざるをえず周りから笑わ
れました。いかに笑われても不要な所に金を使ったら幾ら金が
あっても足りません。少しでも無駄も省いて良い機械を買わな
くてはなりません。機械は余程良く調べて選択しないと、うっ
かり間違った機械を買ってしまう事になります。間違った機械
を買わないように、わざわざ米国まで出張して調べる位の事は
当然の事でした。

■■ どのように使いこなすか  ■■
以下は喜一郎氏の書かれた「トヨタ自動車が今日に至るまで」
(昭和11年9月発表)」からのポイントです。
高級機械を買っても、それを満足に使いこなせるかが次の問題
でした。いかに機械が良くても、「ツール」が悪ければ正確な
ものを大量に安く作れません。そこに大量生産に優れたツール
の設計が必要になり、この設計と製作に3~4年かかりました。
 高価な機械を買ってからおよそ3年間、何100人という人が
一生懸命に働いて、自動車1台も市場に出せなかったので、大
概の株主は自動車が出来るのかどうか心配し始めました。また
自動車を生産することが出来れば、必ず儲かるということなら
ば良いのですが、最初の数年間は損をする事がはっきりしてい
る訳で、本事業は誰にもダメではないかと思わせる状況でした。
こんな事業を向う見ずにやる者は余程アホーな人だと私自身
(喜一郎)も思っていました。私だけでなく、多くの経営者は
大概そう思っていました。余程うぬぼれの強い人間か、または
世人におだてられて向う見ずにやる人間の事業の様に社会には
思われていたのは当然の事です。
しかし、自動車製造事業法が出来て変わりました。当然儲かる
事業を当然な方法でやっていくよりも、誰もあまりやらない事
業をものにしてみるところに人生の面白味があるもので、でき
なくて倒れたら自分の力が足りなかったのだ。潔くよく腹を切
ったらよいではないか。出来るところまでやってみよう。どう
せやるなら世人の一番難しいという大衆自動車を作ってみよう、
という思いからやったのです。

■■ ボデーの制作 ■■
日本で自動車工業が発達しない一つの原因は、ボデーの製作で
した。米国のように多量生産が出来ないのです。日本人は器用
で、手叩きで相当のものを作りますが、大量生産には何として
もプレスでなければなりません。ある人は外国人を雇用したら
と言いますが、それでは米国式をそのまま輸入したことになり、
面白くありません。何とか日本独特の方法を講じる必要があり
ます。
このプレス領域の工業がどの程度まで進んでいるのか、一通り
見ておく必要があると思って、東京地方の工場を見学しました。
その時、偶然にもプレスでフェンダーを押している杉山鉄工所
を見学しました。他にもこのような工場が有るかもしれません
が、とにかくボデーの型を作ってみないかと話をしてみました
ら、そうしたらやってみようという事になって、この領域に思
いも寄らぬ知遇を得ました。
型の製作については始めてなので、色々と製作方法を研究する
必要があります。何と言っても型を作る機械が無いので止むを
得ず手仕上げでやらなくてはなりませんでした。外国では型作
りの機械が有り、型の製作を専門的に引受ける会社があります
が、日本ではそうは行きません。最初は手作りで製作する事に
して、おおよそ1年半の後に機械により型を製作する事が出来
ました。この方面の研究は、今後相当しなくてはならないでし
ょう。
 次に課題になったのは、プレス用薄鈑の良し悪しです。鋼板
薄板の極上物を使用すれば型の製作、プレスも大変楽になりま
す。我国でも金属工学の発展で段々良いものが出来る事と思い
ます。
塗装及内装は、日本にも相当経験を持っている人が居るので心
配する必要はありません。また、組立についても設備と段取り
と熟練工が必要ですが、職工の訓練を含め、むずかしい問題で
はありません。日本人は非常に手先が器用ですから、むしろ外
国車よりも安くて良いものが出来るのも近い将来の事と思いま
す。

余談1 トヨタ | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.382 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** 余談1 トヨタ ***
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「品質不祥事」についてお話をしています。
You tube「超ISO」の品質不祥事シリーズに沿ってお話をさせてい
ただいており、前回まで第三者委員会調査報告書について、なぜそ
んなことが起きるのかについて連載をしてきました。しかし、こん
な話を5回も続けていると、不愉快になり、頭が疲れますので、今
回から2,3回余談をさせて頂こうと思います。

■■ トヨタの話 ■■
急にトヨタのことを思い出しました。多分、品質不祥事の話は組織
内の負の側面ばかりで、日本は早くこんな状況から抜け出さなけれ
ばならないのにと思う感情が私の頭を占め、真逆な話をしたいと思
うようになったのだと思います。
私が諏訪精工舎(セイコーエプソンの前身)へ入社したころ(1970
年頃)、トヨタの大野耐一さん(当時副社長、故人)が講演に諏訪
本社に来られました。そこで、トヨタ自動車が市場に自動車を投入
できるようなるまでの苦労話と工場運営の神髄について直接話を聞
く機会に恵まれました。

トヨタの自動車は幾多の人々の苦心惨澹たる研究と多くの知識の集
合と長い年月に亘る努力と、さらに幾多の失敗から生れ出たもので
す。日本で果して大衆車が生産出来るであろうか、昭和初期には多
くの人々は殆ど不可能であると考えていたそうです。特に自動車分
野に経験のある人々は痛切にそのように考えていたそうです。

昭和8年、豊田喜一郎氏は市場投入の準備が出来たとして、震災10
周年記念日(9月1日)に満を持して、会社として自動車製作に着
手する事を正式に発表しました。多くの人々はいかに無謀であるか
を陰で言っていました。或る人は直接注意をしてくれました。自動
車工業のいかに難事業であるかという事を社員も聞かされました。
しかし、豊田自動織機製作所の力をもってすれば、必ず可能である
と当時の経営者は確信していました。しかし、紡機と違った幾多の
難関があり、容易に実現させる事はむずかしいと思っていましたか
ら、数年は道楽でやって居るのだと言う名目の下で苦労を続けてい
ました。

ところが、当時日本政府は、国産自動車は国力増進のうえでは避け
て通れない産業であるとして、産業振興のため「自動車製造事業法」
を作りました。いよいよ自動車製造に着手すると正式決定してから
の3年間、大野さんが述べたことを当時の記録から綴ってみます。

■■ 金属材料が命 ■■
自動車の製作に当って何が1番大切であるかというと。言うまでも
無く材料です。材料問題を解決せずして自動車の製造にかかる事は、
土台を作らずして家を建てる様なものです。当時、日本でも製鋼業
は相当進歩していましたが、自動車に最も適した材料を専門に作っ
てくれて、共に辛抱してトヨタの思う様な材料を提供してくれると
ころはなかなかありませんでした。材料と共にエンジンの改良も必
要です。エンジンの進歩と共に材料を改良しなくてはなりません。
エンジンの研究には切っても切れぬ材料の製作は、自動車からは余
分な仕事の様にみえますが、トヨタは何としても材料の製作を自分
でしなくてはならない立場にありました。いかにエンジンの製作を
良くしても、適材を適所に使わなかったら寿命も短くなり、値段も
高くなり、性能も悪くなります。

材料の製作が出来なくては自動車の研究も出来ません。そこで、金
属材料工学の第一人者の本多光太郎先生に教えを求め仙台の東北大
学へ行きました。早速先生に尋ねましたところ、「日本の現在の力
で充分出来る」、「外国人を雇う必要はない」と言われたので、大
いに安心して直ちに製鋼所の設立にかかりました。

当社を見学に来られる方から、時々鋳物は何割合格しますかと言う
ご質問を受けますが、鋳物と言うものは普通95%位の合格率がなく
ては営業が成り立ちません。自動車を造ろうというものが鋳物の合
格率を心配される様では、情けないことです。そこで、工場の者を
大いに督励し、鋳物位が出来なければトヨタの恥だと全員で頑張り
ました。しかし、モールディングマシンを使用してシリンダーを
90%以上の合格にするまでには、多くの失敗をしました。

結果からみて、1年余りで成功したのは、それまで多年モールディ
ングマシンを使用していた事と、電気炉を用いて紡機の薄物鋳物を
やっていたお蔭だと思います。それでもシリンダー5~600個はつ
ぶしてしまいました。同じ物を1,000個作ると、大概の職工は手が
馴れて間違いの無い物を作る様になります。しかし、最初の数100
個は手が定まらないので捨てる位の覚悟は必要です。

■■ トップがここまで現場を知っているのか ■■
ここまで、当時の記録を読んで、「副社長がここまで現場を知って
いるのか」と強く感銘します。品質不祥事の報告書で「管理者が現
場に行かない。」という多くの組織の記述を見るにつけ、隔世の感
がします。

ここでお願いです。日本品質管理学会の「品質不正防止TR」原案
が出来上がりました。どなたでも提案できますので、パブリックコ
メントへの応募をお願いします。

品質不祥事 8 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.381 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** 品質不祥事 8 ***
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「品質不祥事」についてお話をしています。
You tube「超ISO」の品質不祥事シリーズに沿ってお話をさせてい
ただいています。この前から第三者委員会調査報告書についてお話
をしていますが、今回はその5からです。

■■ 第三者委員会調査報告書 ■■
私が読んだいくつかの製造業の品質不祥事の「第三者委員会調査
報告書」を紹介します。我々が興味を持つのは、1)どんなことが
起きたのか、2)なぜ起きたかの2点です。「第三者委員会調査報
告書」は少ないものでも100ページ、多いものだと1,000ページ
を超えますので、ここでは2)に焦点を絞って報告書に記載された
ままを簡潔に紹介します。
なお、「第三者委員会調査報告書」の該当部分をそのまま記述し
ているため、文章のつながり、整合、体裁などが統一されていな
いところがありますが、ご容赦ください。

5.M株式会社  2021年2月
<原因の究明を行った結果>
1 工程能力を超える仕様での受注・量産
ア 人的投資が抑えられていた。
イ 顧客との間で製品の仕様について対等に議論できる知識を備
 えた技術者が限られており、受注に当たって開発部門が、顧
 客との間で仕様について?社の工程能力を踏まえた交渉を行う
 ことが出来ていなかった。
ウ 量産化に至るまでの過程において、DRの各段階において問題
 がありながら営業部門からのプレッシャーにより改善をせずに
 そのまま量産に移行していた。
エ DRは形骸化しており、不適合品の量産化を防ぐという本来期
 待されている機能を果たしていなかった。

2 顧客仕様を満たす製品を製造する工程能力の低下
ア 製造設備の更新については費用削減を優先し、更新時期を極
 力引き延ばしていた結果、製造設備の老朽化、陳腐化が進んで
 いた。
イ 業績悪化への対策として、生産能力を超えて製造設備を及び
 人員を稼働させ、利益の確保を図るという対応が行われていた。

3 品質保証体制の不備
ア 工程設計の段階で最終検査に割り当てる時間が全く考慮され
 ていなかった。製品が最終検査に回ってきた日に直ちに出荷
 するという顧客の納期に間に合わせることが常態化していた。
イ 顧客との間では最終検査を行うことが契約上の合意となって
 いたが、社内規定、システムでは出荷前に寸法、物性の最終
 検査を実施することになっていなかった。

4 検査人員。検査設備の不足
ア 顧客との契約上行わなければならない最終検査にどの程度の
 検査人員が必要であるか把握、検証されていなかった。
イ 最終検査を行う人員や設備が絶対的に不足していた。

5 納期のプレッシャーや他部門から検査部門に対するプレッシャー
ア 常に「とにかく早く出荷してくれ」と強く言われていた。
イ 工場内に在庫を保管するだけの十分なスペースが無かった。
ウ 製品がすぐに顧客に出荷され使用されるということが不適合
 品の流出を常態化させていた。

6 品質に対する意識の希薄化
ア 検査の意義など、品質管理に関する体系的な教育の機会が乏
 しく、品質管理教育はOJTに委ねられていた。
イ データの書き換えなどの不適切な行為が?年にわたって慢性
 的に継続してきたことがあり、製品の品質に対する従業員の
 意識は薄くなっていた。

7 赤字の続いた経営
ア 1990年頃までは国内シェア1位であったが、2000年代には国
 内シェア3位に後退していた。
イ 赤字が続き、海外に製造拠点を展開するも思うようにいかず
 国内工場への人的投資、設備投資は費用抑制され、製造設備
 の老朽化、陳腐化は進んでいった。
ウ 例えば、プレス機は30年以上交換されないものが8割以上を
 占めていた。

8 生産量の伸び
ア 一方で主力顧客である?動車業界は増産の一途をたどり、受
 注する製品量は年々増加した。
イ 社としての利益確保の要請と製品の特殊性から顧客業界には
 変わり得る製品が少なく受注謝絶ということは考えられなか
 った。

9 社内組織
ア 検査部門は⻑い間製造部門の下に置かれていた。
イ 検査部門は付加価値を生み出す部門ではないと考えられ、そ
 の位置づけは他部門より低いと認識されていた。

品質不祥事 7 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.380 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** 品質不祥事 7 ***
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「品質不祥事」についてお話をしています。
You tube「超ISO」の品質不祥事シリーズに沿ってお話をさせてい
ただいています。前々回から第三者委員会調査報告書についてお話を
していますが、今回はその4からです。

■■ 第三者委員会調査報告書 ■■
私が読んだいくつかの製造業の品質不祥事の「第三者委員会調査
報告書」を紹介します。我々が興味を持つのは、1)どんなことが
起きたのか、2)なぜ起きたかの2点です。「第三者委員会調査報
告書」は少ないものでも100ページ、多いものだと1,000ページ
を超えますので、ここでは2)に焦点を絞って報告書に記載された
ままを簡潔に紹介します。
なお、「第三者委員会調査報告書」の該当部分をそのまま記述し
ているため、文章のつながり、整合、体裁などが統一されていな
いところがありますが、ご容赦ください。

4.N株式会社  2021年2月
<原因の究明を行った結果>
(1)GMP(Good Manufacturing Practice)上の問題
<ア> 手順書
(ア)手順の不明瞭
 各手順書、とりわけOOS管理手順書、逸脱管理手順書が不明
瞭であったことが、不適正な救済措置等の原因の一つと考えら
れる。
(イ)初回試験結果の棄却・再試験等の条件(品質管理基準書・
OOS管理手順書)
 品質管理部門内で、初回試験結果を棄却し再試験、再サンプリ
ングを行い得る条件を明確かつ統一的に認識できていなことが、
不適正な救済措置等の原因の一つと考えられる。
(ウ)逸脱処理における逸脱会議の権限・手順(逸脱管理手順書)
 逸脱会議での検討・判断が手順書に優先するかのような認識
が品質管理部門担当者を含む逸脱会議出席者内でも定着して
しまっていた。
<イ> 試験記録管理
不適正な救済措置は、試験記録のシステム・手順上、初回試験の
不適合結果を再試験等の適合結果によって上書きすることが物理
的に可能であったが故に行われたものである。
<ウ> OOSの状況の適時確認・追跡
安定性試験等におけるOOSの放置につき、安定性試験の結果の
監視・監督が不十分であった。
<エ> GMP組織
 (ア)医薬品製造管理者
現在の医薬品製造管理者は、会社組織上マネージャークラス
であり、品質管理責任者(品質管理部長)や製造管理責任者
(製造管理部長)を適切に管理監督する職責を果たせる職位
にない。
 (イ)逸脱管理責任者・逸脱管理副責任者その他の逸脱管理担当者
職責上、独立性のない(出荷優先の論理で活動する)生産業
務部の担当者が逸脱管理責任者/逸脱管理副責任者に任命さ
れている。
<オ> GMP教育訓練
製造及び品質管理関係者全体におけるGMPに関する理解と規範
意識の不十分さが存在する。
<カ> 品質管理部門・GMP推進部の権限
不適正な救済措置や、安定性試験等の不実施の原因の一つとして、
品質管理部門の発言力が弱かったことが挙げられる。
<キ> 安定性モニタリンググループの監査
 (ア)安定性モニタリング
試験担当者の人員に対して品目数が多過ぎ、製剤に対する安
定性試験等よりも、出荷に必要な試験を行うことが優先され
ていた。
 (イ)安定性試験・安定性モニタリング
品質管理部内において安定性試験及び安定性モニタリングが
計画どおりに実施されていなく、OOS管理手順書に従った処
理を指示するなどの適切な監督が行われていなかった。

(2) GQP上(製造販売業)
<ア>信頼性保証本部によるGMP監査
信頼性保証本部が、GQP取り決め書に基づく富山第一工場に対す
るGMP遵守状況の定期的な監査を一部実施していなかった。
<イ>総括製造販売責任者
総括製造販売責任者が独立性の必要な不適正な救済措置の実施に
おいて主導的な役割を担っていた。

(3)内部監査・監督機能
<ア>GMP監査室による内部監査体制
内部監査室による業務監査で、専門的知識を有するGMP違反の
内部監査に十分に対応できなかった。
<イ>内部通報制度
これまでの内部通報制度では、本件の各問題事象を検出すること
はできなかった。

(4)組織・経営全般
<ア>風土:大きな要因としての風土 1)品質管理業務よりも出荷、
安定供給・欠品回避を優先する風土 2)経営陣等の上層部が打ち出
した方針について、本来その改善のために必要であっても、ネガ
ティブな情報を経営陣に報告ないし進言することを従業員が躊躇
する風潮 3)GMP違反の問題について認識/疑念を持っても、当
事者意識を持たずにこれを問題視しない風潮
<イ>取締役・監査役の責任
 (ア) 品質担当役員が「超品質・安定供給担当」を兼務、品質管
理を犠牲にして安定供給が優先されるインセンティブが生
じていた。
 (イ) B取締役:工場長/生産本部長時代において不適正な救済
措置を主導したB氏が「超品質・安定供給担当」取締役を
務めている。
 (ウ) 薬事担当の監査役:本件各問題事象について、監査役によ
る監査によって発見はなされなかった。
<ウ>役員に対するコンプライアンス研修
取締役に対するコンプライアンス研修が十分でない。
<エ>生産計画・体制
本件各問題事象の原因として関係者のヒアリングにおいて最も多
く指摘された問題点は、富山第一工場における生産体制が、予定
される出荷量に全く追い付いていなかったことにあった。
<オ>製剤設計・検討体制
製造方法や承認規格が製造現場の実態に即したものではなかった。
<カ>関係者に対する処分・責任
2011年頃不適正な救済措置を指示するようになった背景には、
その上司である取締役専務執行役員(当時)からOOSロットにつ
きロットアウトを回避するよう指示を受けることがあった。