ロンドン物語 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.423 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
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*** ロンドン物語 ***
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8月初旬にロンドンに行ってきました。コロナの影響で5年ぶり
のロンドンですが、大きく変貌しておりいろいろ驚くことがあり
ました。しばらくトヨタ物語ならぬロンドン物語をしたいと思い
ます。

■■ 現金が使えない ■■
1週間の予定でしたので5万円くらいをポンドに替えようと事前
に川崎にある両替場で紙幣を入手してロンドンに行きました。
しかし、ロンドンについて直ぐに現金が使えないことにびっくり
しました。すべての場所ではありませんが、例えば日本にもある
Paulというカフェでサンドイッチを食べて支払おうとしましたが、
「現金は使えません、カードで支払ってください」と言われてし
まいました。タクシーも土産屋もあるいはデパートも基本的には
カード支払いです。しかも、クレジットカードの使用では当たり
前の暗証番号もサインも求められません。社会全体にクレジット
カードの使用システムが普及しており、信頼性が高く秘匿性がそ
れほど求められないくらいにカード社会になっているようです。

■■ オイスタカードの使い勝手 ■■
ロンドンには日本のスイカカードを真似したといわれる「オイス
タカード」があります。もう20年も前に導入されたものだそう
で「カードそのもの」の大きさ、厚みをはじめ、地下鉄やデッカ
ーバスへのタッチシステムなど日本とそっくりのシステムでなじ
みのある仕組みであり親しみを感じました。
違っていたのはそのシステム設計のあり方でした。毎日ロンドン
市内を行ったり来たりしましたのでカードの残高が一日でみるみ
る減っていきましたが、ある日乗降したにもかかわらず残高が減
らないことに気が付きました。どうしてだろうかと調べてみたら
「ロンドン一日パスポート券(乗り放題)」の20、30ポンド
(ゾーンによって異なる)を超えるとそれ以上引き落とすことが
ない設計になっているのだそうです。観光客には優しい仕組みで
あると思いました。

■■ 大英博物館 ■■
1週間の滞在中いろいろな博物館、美術館を見て回りました。主
なところを上げると、大英博物館、自然史博物館、科学博物館、
アルバート美術館などですが、全部無料で入れますが、以前と変
わったことはQRコードから氏名などのインプットを求められる
ことでした。5年前まではそんなことはなく、順序良く並んで荷
物検査をされて入場できたのですが、随分と変貌していました。
これだとスマホを駆使できない人は入場できないのではないかと
思います。お年寄りでスマホの操作に慣れない方にはヘルプコー
ナーがありましたし、そもそもスマホを持っていない人にはそれ
なりの扱いが用意されているようでしたが、ここまでスマホ社会
が進んでいるのかと日本の現状と比較してびっくりしました。

■■ 免税店がない ■■
観光客の楽しみの一つはお土産の買い物です。例にもれず私も家
内のお土産買い物に付き合いました。が、あるべきはずの定番の
免税店が市中にありません。2020年に英国の免税制度が廃止さ
れたのだそうです。その理由は、ブレグジット(EU離脱)で欧
州大陸からの旅行者が免税資格を利用できる外国人になり、関税
局の負担とコストが増大したからだと説明されていました。しか
し、多くはVAT20%が免税される酒やたばこが目的の外国人旅行
者ですから大したコスト増になるわけではないと思います。この
政策は果たして良いのか個人的には疑問に思いました。

トヨタ物語24 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.422 ■□■
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*** トヨタ物語24 ***
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トヨタ大野耐一氏の50年前の話は、品質不正と対照的なトヨタ
創成期のチャレンジあり、苦労ありの七転び八起き物語ですが、
これを読むと多くの示唆が得られます。品質不正の発覚が続いて
重たい空気の漂う産業界にフレッシュな風を吹き込みたいと思い
トヨタ物語を話させていただいています。

■■ はっきりとした目的とニーズ ■■
トヨタ生産方式の基本思想および基本をなす骨格を順次、述べて
きたが、それらはいずれもはっきりとした目的とニーズがあって
具現化されてきたことを強調したい。今でもトヨタの現場の改善
はニーズに基づいて行なわれている。ニーズのないところで行な
われる改善は思いつきに終わったり、投資しただけの効果を得ら
れなかったりすることが多い。「必要は発明の母」である。現場
に対していかにニーズを感じさせるか、これが全体の改善を大き
く進める鍵であるといってもまちがいあるまい。
私自身、これまで述べてきたトヨタ生産方式を1つ1つつくり上
げてきたことも、「3年でアメリカに追いつく」ために、ムダを
排除する新しいつくり方を見つけ出さねばならないという強烈な
ニーズに基づいたものであった。たとえば「後工程が、前工程へ
取りに行く」という発想も、従来のやり方では前工程が後工程の
生産状況にはおかまいなしにどんどんできた品物を送り込んでく
るために、後工程では部品の山ができてしまう。このため後工程
では、置場の確保や品物をさがし出すことに手をとられて肝心の
生産が進まない。なんとかこのムダを除かなければ、そのため前
工程の送り込みを押えなければ、という強いニーズを感じて従来
とは逆の発想を思いついたのである。

■■ 機械の多数台持ち ■■
私の実施した機械工場における機械の配置換えによる流れづくり
は、つくりだめによるムダを排除すると同時に、作業者の機械の
多数台持ち、正確には「多工程持ち」を実現することによって、
生産効率を2倍にも3倍にも上げうる意義あるものであった。
この職種の違った機械の多数台持ちは、アメリカにおいてはなか
なか実行がむずかしいことについてはすでに触れた。日本でなぜ
可能かといえば、ひとつには日本には欧米のような職能別組合が
ないからである。したがって、単能工から多能工への移行は、職
人気質という抵抗はあったものの日本では比較的スムーズにでき
たのである。
この事実は、日本の企業別組合が欧米の職能組合に比べて、立場
が弱いことを示しているのではない。多くは歴史と文化の違いに
よるものである。日本の企業別組合はタテ割り社会の例であり、
流動性が少なく、欧米の職能別組合はヨコ割り社会の例で流動性
に富む、と一般には言われるが、実態はそうであろうか。旋盤工
はあくまで旋盤工であり、溶接工はあくまで溶接工でなければな
らないアメリカのシステムと、生産現場において旋盤も扱えば、
フライス盤も扱う、ボール盤も扱う、さらには溶接も行なうとい
う、幅広い技術を身につけることのできる日本のシステムと、ど
ちらが優れたシステムといえるのだろうか。

■■ 歴史と文化の違い ■■
優劣を論じにくい問題である。両国の歴史と文化の相違によると
ころ大であろう。それぞれにメリット、デメリットはあるだろう。
そこで、それぞれのメリットを求めていけばよいであろう。日本
のシステムでは、作業者1人1人が幅広い生産の技術を体得する
ことを通じて、生産現場のトータルなシステム、私はそれを「製
造技術」と呼んでいるが、それをつくり上げることに参画する。
そして重要な役割を演じてもらう。それこそが、働きがいに通じ
るであろう。ニーズとは、待っていて生まれるものではない。こ
ちらからつかみ取りにいかなければならない。自分自身をぎりぎ
りの線に追い込んでみることも、実質のあるニーズをとらえるた
めには必要なことである。
低成長下の企業のいちばんのニーズは何であるか。繰り返すが、
量がふえなくとも、生産性を上げるにはどうしたらよいのかとい
うことである。

トヨタ物語23 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.421 ■□■
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*** トヨタ物語23 ***
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私がトヨタ大野耐一氏の講演を聴いた頃に「でかんしょ節」とい
うものが流布されていました。50年前の大野さんの話にこの
「でかんしょ節」が登場したのは当時としては多くの人がうなず
く話でしたが、今ではすっかり忘れ去られていると思います。
文中この「でかんしょ節」に注を付けました。

■■ 「でかんしょ」生産 ■■
激しい労働争議が終わり、特需景気がやってきた当時の生産現場
には、緊張感がみなぎり、そしてしだいに活気を帯びてきたよう
に思えた。企業にとっては、お客さんの注文ほどうれしいことは
ない。特需のトラックをいかに消化するか、生産現場は懸命であ
った。なにしろ、当時は、粗形材も部品も、何もかも不足の時代
であるから、こちらの欲しいときに、欲しいだけ手にすることが
できない。むろん、部品を供給してくれる協力企業には設備も人
も不足していた。その結果はどうであったか。
シャシー・メーカーであるトヨタ自工としては、たくさんの部品
が、必要なときに、必要なだけ到着してくれないことには、組立
て作業を始めることができない。そのために、いつも月の前半に
は組立てができない。不規則に断続的に集まってくる部品を月末
になって、集中して組立てざるをえなかった。半年を寝て暮らす
「でかんしょ節」ならぬ、「でかんしょ生産」で、これにはほと
ほとまいってしまった。

※でかんしょ節
兵庫県の民謡。兵庫県丹波篠山市やその周辺で歌われてきた盆踊
り唄。「デカンショ」の由来にはいろいろの説がある。篠山地方の
方言「……でござんしょ」、あるいは徹夜で酒を飲み明かすという
意味の「徹今宵(でっこんしょう)」、さらに丹波地方から灘酒造り
に出かける杜氏たちの「出かせぎしょ」などである。
明治時代、第一高等学校の寮にこの唄が広まった。「デカルト、
カント、ショーペンハウエル」の略とされ、哲学の論議に半年明
け暮れるさまをもじったと言われる。

■■ 「平準化」生産 ■■
月に1,000個いる部品だったら、25日稼動して1日に40個ずつ
つくればよい。きょうも明日も40個ずつ、コンスタントにつくっ
て欲しい。しかも40個を1日かかってつくることが大切だ。1日
に働く時間が480分だったら1個12分でつくればよいことになる。
この考え方がその後「平準化生産」へと発展していったのである。
生産の流れをつくり上げ、しかもコンスタントに加工部品の素材
が外部から供給される体制が整うことは、いまにして思っても、
トヨタ生産方式、いや、日本式生産方式の姿ではないかと想像力
をたくましくしていた。
当時としては、すべてが不足の時代であったから、なんとか人手
と機械をふやして、つくりだめしておければと考えたにちがいな
い。月にせいぜい1,000台とか2,000台の生産の時代であるから、
あらゆる工程で1カ月分ぐらいの在庫を持つことも、あまり負担
にならなかったかもしれない。しかし、そのためには、大きな倉
庫を持たなければいけない。さらに生産量がふえていったときに
はどうなるか。たいへんなことだと思った。
それよりも、トヨタ自工の内部からまず始めてみて、「月末追い
込み生産」をいかに平均化、平準化させることができるかを詰め
てみよう。つぎに外部の協力が必要なところには、こちらから積
極的にアプローチして、あちらの要求を聞いた上で、こちらの平
準化生産に協力してもらおう。時と場合によっては、人、物、金
いろいろの面で協力することも話し合った。すべて「でかんしょ
生産」つまり「月末追い込み生産」からの脱却のためであった。

トヨタ物語22 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.420 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
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*** トヨタ物語22 ***
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トヨタ大野耐一氏の50年前の話は、品質不正と対照的なトヨタ
創成期のチャレンジあり、苦労ありの七転び八起き物語ですが、
これを読むと多くの示唆が得られます。品質不正の発覚が続いて
重たい空気の漂う産業界にフレッシュな風を吹き込みたいと思い
トヨタ物語を話させていただいています。以下はすべて大野氏の
話です。

■■ 日本企業の錯覚 ■■
戦後まもなく、国産自動車の産みの親である豊田喜一郎氏の「3
年でアメリカに追いつけ」という叱咤激励は、トヨタの具体的な
企業目標となった。目標がはっきりしていると、人間の行動は活
発になるものである。企業の動きも同様である。私は戦時中の昭
和18年に、紡績から自動車へと職場を変えたが、紡績時代の経
験は非常にプラスとなった。先に触れた「自働化」の発想も、豊
田佐吉翁の自働織機から得られたものであったし、自動車の生産
現場にきてからも、自動車の素人ではあったが、紡績との比較に
おいて、自動車の生産現場の長所、短所が目についた。
昭和24、5年といえば、戦後の復興期であり、日本の自動車産業
の前途もまことに険しい時期であった。ちなみに、昭和24年の
国産車の生産台数をみると、トラック25,622台、乗用車は1,008
台にすぎなかった。ほかに占領軍による軍用払下げトラック44,116
台が記録されているが、いずれにしろ、国内生産は微々たるもの
であった。
それにもかかわらず、トヨタの生産現場には、何かやってやろうと
いう意気込みが秘められているようであった。豊田喜一郎社長の
「アメリカに追いつけ」の言葉が、そのような雰囲気をかもし出し
ていたのかもしれない。昭和22年、いまの豊田市の本社工場(当
時は挙母工場)の製造第2機械工場主任であった私が思い立ったこ
とは、アメリカに追いつくために、1人の作業者に1台の機械では
なく、多数台かつ多工程の機械を担当してもらおう、そのためには
何をやればよいかを考えた。機械工場に流れをつくることが最初に
やるべきことであった。
アメリカの機械工場がそうだし、また大部分の日本の会社でもそう
だが、機械工場というと、旋盤工は旋盤しか扱わない。工場のレイ
アウトも、旋盤が50台も100台もまとまって配置してある場合が
少なくない。旋盤工程が終わったら、まとめてつぎの穴あけ工程に
もっていく。それが済んだら、フライス工程へ持っていくというよ
うに、まとめてつくる。これが機械工場の流れ作業であると、今も
って考えられている。
アメリカの場合は、職能別の組合があって、1つの会社にたくさん
の組合が入っている。したがって、旋盤工は旋盤しかやらない。穴
あけ工程というと、ボール盤のところへ持っていかなければならな
い。単能工であるから、旋盤工程でたまたま溶接作業が必要になっ
ても、そこではできない。溶接工程へ持っていって溶接をやるしか
ない。したがって、機械の数も多いし、人間の数も多い。そのよう
な条件のなかでコスト・ダウンをしなければならないアメリカ企業
にとっては、量産によってしかコスト・ダウンできないことは明ら
かである。
量をつくることによって、1台当りの人件費を安くする。償却負担
を軽くするということになる。そうなると、どうしても大型の高性
能・高速度の機械を必要とする。
このような生産システムは、計画的量産システムであり、すべての
工程がたくさんつくり、まとめてつぎの工程へ送る生産方法をとる
ことになる。量とスピードを追求するこのやり方には、とうぜん、
ムダが多い。そのアメリカ式を追い求めて、昭和48年秋のオイル・
ショックを受けるまで、日本の企業はあたかもそれが日本の風土に
合致したかの錯覚をしてきたことに気づかなかったのである

■■ 生産の流れを作る ■■
旋盤は旋盤工、溶接は溶接工というように、作業員が固定化してし
まっている機械工場の保守性を打破するのは、けっして容易ではな
かったが、アメリカでは不可能であっても、日本ではやる気があれ
ばできたのである。現に、トヨタ生産方式の始まりも、この古い体
制への私自身の挑戦から始まったのであった。
 昭和25年6月の朝鮮戦争勃発をきっかけとして、日本の産業界
は特需景気なるものによって活気を取りもどした。自動車産業もそ
の波に乗って伸びたことは確かである。この年は、トヨタ自工にと
って多事多難の年であった。4月から6月にかけて人員整理にとも
なう労働争議があり、その責任を負って、豊田喜一郎社長は退任し
た。そのあと、朝鮮戦争勃発となったのであった。
それにしても、特需景気とはいうものの、量産にはほど遠かった。
なにしろ種類が多い。多種少量生産であることに変わりはなかった。
私は、当時の拳母工場の機械工場長として、機械設備の配置を変え
て、従来のたくさんかためて加工し、つぎの工程へ送ってやるやり
方から、加工工程順に異なった機械を配列して1個1個、加工して
つくりあげていく、いわば生産の流れをつくり出す、ささやかな試
みを始めていた。
昭和22年には機械を「ニの字型」または「L字型」に並べて、1人
の作業者の2台持ちを試み、24から25年にかけては、「コの字型」、
「ロの字型」として、工程順の3台持ち、4台持ちへの挑戦をして
いた。生産現場の風当りは、とうぜん強かった。仕事の量や作業時
間が増大するわけではないが、当時の熟練工は良くも悪くも職人気
質おう盛な連中であったから、機械を配置換えして、従来の1台持
ちから工程順の多数台持ちにし、しかも旋盤からフライス盤、ボー
ル盤など、多能工としての仕事が要求されることになるのだから、
抵抗も多かったはずである。また実際にやってみると、いろいろな
問題がわかってきた。たとえば機械が加工完了で止まるようになっ
ていないとか、調整の要素が多いため熟練していないと扱いが困難
であるというようなことである。こういう問題がしだいにはっきり
してきて、私につぎに進むべき方向を教えてくれた。
 私も若かったから、やる気おう盛であったが、短期間に急激な変
化を押しつけるのは得策でないと考え、あせらずにじっくりいく気
持であった。

トヨタ物語21 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.419 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
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*** トヨタ物語21 ***
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近年に起きた品質不正の話をしている時期に書棚を整理していま
したら、50年も前のトヨタ大野耐一氏の講演録が出てきました。
品質不正とあまりに対照的なトヨタ創成期の物語を読むと多くの
示唆が得られると思いトヨタ物語を話させていただいています。
以下はすべて大野氏の話です。。

■■ 個人技とチーム・プレーの相乗効果 ■■
「自働化」をどのように進めるかは、各生産現場の管理・監督者
の知恵のだしどころである。肝心な点は、機械に人間の知恵を付
けることであるが、同時に「作業者=人間の単なる動きを、いか
にニンベンの付いた働きにするか」である。トヨタ生産方式の2
本の柱ともいうべき「ジャスト・イン・タイム」と「自働化」の
関係をどのように言ったらよいであろうか。私は、これを野球に
たとえるなら、「ジャスト・イン・タイム」とはチーム・プレー
すなわち、連携プレーの妙を発揮させることであり、「自働化」
とは選手1人1人の技を高めることであると考える。
「ジャスト・イン・タイム」によって、生産現場の各工程に当た
る、グラウンドの各野手は、必要なボールをタイミングよくキャ
ッチし、連携プレーでランナーを刺す。全工程がシステマチック
に見事なチーム・プレーを展開することができる。生産現場の管
理・監督者は、さしずめ野球でいえば監督であり、打撃・守備・
走塁コーチである。強力な野球チームは、常にシステム・プレー
というか、どんな事態にも対応できる連携プレーをマスターして
いるものだ。「ジャスト・イン・タイム」を身につけた生産現場と
は、連携プレーのうまい野球チームにほかならない。
一方の「自働化」は生産現場における重大なムダであるつくり過
ぎを排除し、不良品の生産を防止する役割を果たす。そのために
は、平生から各選手の能力に当たる「標準作業」を認識しておき、
これに当てはまらない異常事態、つまり選手の能力が発揮されな
いときには、特訓によってその選手本来の姿に戻してやる。これ
はコーチの重大な責務である。
かくして「自働化」によって「目で見る管理」が行き届き、生産
現場すなわちチームの各選手の弱点が浮き彫りにされる。その結
果、直ちに選手の強化策を講じることができる。
ワールド・シリーズや日本シリーズで優勝するチームは、必ずと
いってよいほど、チーム・プレーよし、個人技もよしである。そ
のパワーの原動力は両者の相乗効果のなせる業である。同様に、
「ジャスト・イン・タイム」と「自働化」の両立した生産現場は、
どこよりも強力な体質をもつにいたる。

■■ 原価低減が目的  ■■
生産効率、管理効率、経営効率など、効率なる言葉がしばしば使
われるが、なぜ現代の企業が「効率」を追求するかといえは、そ
れは企業目的の根幹ともいうべき、「原価の低減」を実現するた
めである。トヨタに限らず製造企業の利益は、原価を低減してこ
そ得られるものである。かかっただけの原価に利潤を上のせして
値段を決定するような「原価主義」の考え方は、最終的なツケを
消費者に回すようなもので、いまの自動車企業にとって、縁のな
い状況である。
われわれの製品は自由競争市場において、冷厳なる消費者の目に
よって選別されている。製品の原価がいくらかかったかというこ
とは、消費者には関係のないことである。その製品が消費者にと
って価値あるものかどうかが問題なのである。かりに高すぎる原
価から導き出された高い価格を設定したとしても、消費者にソッ
ポを向かれてしまうだろう。社会性の強い製造企業にとっては、
自由競争市場で生き残るためには、原価の低減こそ至上命令なの
である。
高度経済成長時代、量の関数の下でのコスト・ダウンはだれにも
できたが、低成長時代の現在、いかなる形のコスト・ダウンとい
えども、容易にはできない。もはやコスト・ダウンには奇策はな
い。人間の能力を十分に引き出して、働きがいを高め、設備や機
械をうまく使いこなして、徹底的にムダの排除された仕事を行な
うというごく当り前の、それでいてオーソドックスかつ総合的な
経営システムが要請されている。
「徹底したムダの排除」というトヨタ生産方式の基本思想を支え
る2本の柱について述べてきたが、この生産システムは、日本の
風土から生まれるべくして生まれたものであり、しかも世界的に
低成長経済時代を迎えた現在、どんな業種にでも効果の発揮でき
る経営システムであると思う。