トヨタ物語13 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.399 ■□■
― ISOマネジメントシステムのテクノファ ―
― つなげるツボ動画版はじめました ―
*** トヨタ物語13 ***
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テクノファでは3月17日にWEBで「テクノファフォーラム29回」
を「改めて考える品質不正」と題して開催します。
慶應義塾大学理工学部 管理工学科 山田秀先生、山口利昭法先生
(弁護士)、安藤之裕氏、大久保友順氏を迎えて講演、及びパネル
ディスカッションを予定しています。品質不祥事と真逆な話がト
ヨタ創業期の話です。トヨタ創業時の話を聴くと近年の品質不祥
事の話と大きなギャップを感じます。竹がまっすぐ成長する青年
と葉が枯れだした老木との違いのごとくです。下記の記述は1970
年頃に私が聞いた大野耐一氏(当時副社長)の講演記録からです。

■■ フォードの後にフォードなしか ■■
私はフォード・システムに代表されるアメリカの、いや現在では
世界を支配する大量生産方式の原点をフォードの人と業にもとめ
てきた。トヨタ生産方式も「流れ作業」という点では、フォード・
システムから学んだ点は多いのであるが、フォード・システムは
あくまでアメリカの風土のなかに生まれたものであること。そし
てフォード・システムが自動車の大衆化時代をもたらしたT型フ
ォードの量産の形で生み出されたことを十分に考えた上で、私は
日本の風土に適した日本式の生産方式があるのではないかと求め
てきた。
フォード・システムの「流れ作業」がフォード社も含めたアメリ
カの自動車企業のなかでどのように展開されてきたかについて、
私はヘンリー・フォードの真意が正確に理解されなかったのでは
ないかと思う。部下の人々はむしろ流れをせきとめるような、ロ
ットをできるだけ大きくしてつくるやり方を定着させてしまった。
その理由はどこにあったのだろうか。フォードの窮極のねらいが
明らかにならないうちに、アメリカの自動車市場における競争が
激化し、自動車の本家を自認していたフォード社自体がライバル
のGMに急追されるに至り、フォード・システムの正しい展開を
考えるどころではなくなったのであろうかとも考えた。

■■ GMの元会長のA・P・スローン ■■
1920年代のアメリカ自動車市場が大転換期であったことは、GM
の元会長のA・P・スローン・ジュニアの著作『GMとともに』
(田中融二、狩野貞子、石川博友訳)に詳細に書き留められてい
る。その書によると、1924年から1926年にかけて、アメリカの
自動車市場を一変させるような事件が起きた。それは1908年以
後、T型フォードの発売によって、それまで長らく続いていた限
られた高級市場時代から、一挙に大衆市場時代へ変わったことに
も匹敵する大変化である。
すなわち、ヘンリー・フォード1世の「自動車は廉価な基本的運
輸手段である」という考え方が市場を支配していた時代から、ス
ローンのいう「絶えず向上を続ける大衆車、言い替えれば、より
豊かに変化する大衆高級車市場の時代」へ変わった。

自動車産業の発展に端を発して、1920年代には、アメリカ経済
は新しい上昇期に入った。それに伴って新たな要素があらわれ、
再び市場が変化し過去と現在とを区分する分岐点が生じたのであ
る。
これらの新たな要素を大別すると、割賦販売、中古車の下取り、
セダン型の車体、アニュアル・モデル(毎年の新型車)の4つに
わけられる。(もし自動車の環境を考慮に入れるならば、改善さ
れた道路をこれに加えたい)。これらの要素は今日の自動車産業
に深く根を下ろしているので、これらを除外して考えることはほ
とんど不可能である。1920年前とその後しばらくは、車を買う
人ははじめて車をもつ人に限られ、代金は現金か、特殊の借入金
で支払った。車種はロードスターか、ツーリング車が多く、型は
1年前と変わらず、翌年も変わりそうもないものが選ばれた。こ
のような状態はしばらく続き、型が変わってもクライマックスに
達するまでは、その変化は目立たなかった。というのは、おのお
の新しい要素が別々に変化しはじめ、別々な速度で発展を遂げ、
最後に相互に作用して完全な変化を遂げたからであった。

この市場の大変化を、GMのスローンはチャンス到来とばかりに
とらえ、より豊かに変化する大衆高級車市場に、例のGM独特の
戦略であるフル・ライン政策をかかげて市場ニーズを消化してい
くのであるが、いまでいうこの市場の「多様化」現象に自動車企
業は製造面でどう対応したのか。

■■ 競争の激化とトヨタ生産方式 ■■
T型フォードの量産時代から、GMのフル・ライン・ポリシーの
時代に入ると、各生産工程も複雑化してくるのは当然である。多
種類の車をつくってコスト・ダウンするために、部品の共通化が
格段に進歩したことは明らかなのだが、フォード・システムが大
幅に手直しされて、市場の「多様化」に応じて、画期的な生産シ
ステムをつくり上げたとはどうしても思えない。
「市場の多様化」に応じたワイド・バリエーションによって、価
格政策の妙を盛んに発揮しだすのはこのころであるが、生産現場
では、私からみると、未完成のままのフォード・システムがその
時期に根深く定着していったように思われる。
私はトヨタ生産方式を作り上げる過程で、多種少量という日本の
市場特性をいつも頭に置き、少種大量というアメリカの市場特性
とは違うのであるから、日本の生産方式を生み出さなければなら
ないと考えてきた。
いまトヨタ生産方式にのっとって市場ニーズを受けとめ生産して
いてつくづくと考えることは、日本的風土である多種少量を前提
に練り上げてきたトヨタ生産方式にとって多種大量の条件はむし
ろ望ましいことであって、それだからこそ、成長した日本市場で
効果を発揮していることを強調したいのである。同時に、トヨタ
生産方式がスローンの時代以来、多種大量の自動車市場になった
アメリカでも通用するものであると私は考えている。

トヨタ物語12 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.398 ■□■
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テクノファでは3月17日にWEBで「テクノファフォーラム29回」
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慶應義塾大学理工学部 管理工学科 山田秀先生、山口利昭法先生
(弁護士)、安藤之裕氏、大久保友順氏を迎えて講演、及びパネル
ディスカッションを予定しています。品質不祥事と真逆な話がト
ヨタ創業期の話です。トヨタ創業時の話を聴くと近年の品質不祥
事の話と大きなギャップを感じます。竹がまっすぐ成長する青年
と葉が枯れだした老木との違いのごとくです。下記の記述は1970
年頃に私が聞いた大野耐一氏(当時副社長)の講演記録からです。

■■ フォード1世の後継者たち ■■
ヘンリー・フォード1世の後継者たちは、必ずしもフォードの意
図した生産の流れをつくらなかった。機械加工も、プレスも、流
れをせきとめてダムをつくるような、「ロットは大きければ大きい
ほどよい」という考えを定着させてしまった。トヨタ生産方式を
実現する過程で、生産現場の旧態依然たる「流し作業」を「流れ
作業」に変えるには、それこそ人間の頭脳を機械に移植する作業
の積み重ねであった。「ジャスト・イン・タイム」と「自働化」
の2本柱はそれを実現させるための手段であり、かつ目的ともな
ったことを改めて思い知らされる。

■■ 貯めることの弊害 ■■
自然の災害に備えて人間が貯えをすることは農耕民族の長い間の
習慣からきていると思う。しかし、いつも外の世界と連動してい
る企業が、どうして自分だけの安全のために、品物をため込む必
要があるのか。そのため込む気持が、企業のムダのもとをなして
いる。新しい機械を買ったら、どうして能力いっぱいにいつも動
かしておかなければならないのか。機械の調子がよいときに、沢
山つくっておこう、機械の故障に備えて、つくれるときにはつく
れるだけつくっておこうというのが、いまなお広く深く定着した
考え方である。
トヨタ生産方式における「ジャスト・イン・タイム」の考え方、
つまり「必要な品物を、必要なときに、必要なだけ」手に入れる
ことができれば、確かに余分の原材料も、余分の製品も手持ちす
る必要はない。機械が止まってつくれなくなったらどうするか。
「かんばん」方式でいう後工程が前工程へ必要な品物を引き取り
にいったとき、機械が止まってつくれない場合はどうするか、確
かに困るにちがいない。

■■ 治療より予防 ■■
そこで、トヨタ生産方式は「予防」というニーズを生産現場の全
工程に浸透させることになった。機械の故障を前提として在庫を
もつとするなら、なぜそれ以前に、機械の故障を未然に防ぐこと
を考えないのか。私はトヨタ生産方式がしだいにトヨタ自工内、
さらに外部へと広がり浸透していく過程で、機械の故障、工程の
不具合をいかに防止するかをみんなに工夫してもらった。トヨタ
生産方式には予防医学がしっかりと組み込まれている。
ヘンリー・フォード1世は企業の社会的使命として、あの有名な
フォード財団をはじめ、病院や学校をつくった。病院をつくると
きには、フォード一流の健康、病気、治療、予防などに対する見
識が公表されることになる。
前にかかげたヘンリー・フォード1世の著作のなかに「治療と予
防」という文がある。完全な食物ができれば、健康が保たれる、
つまり病気が予防できるとフォードは真剣に論じている。

一流の医師たちは、たいていの軽い病気の治療法は薬ではなく食
物にある、ということに同意しているようである。それならば、
治療以前の問題としてなぜ病気を予防しようとしないのか。そし
てこの問題をつきつめていけば、次のような結論を導くことがで
きる。悪い食物が病気の原因であるとすれば、完全な食物は健康
のもとである。そしてもしこれが事実なら、われわれは完璧な食
物を追求し、それを見つけ出すべきである。この完璧な食物が見
つけ出されたとき、世界はその最も偉大な前進の第一歩を踏み出
すことであろう。

このような遠大な科学研究のテーマを企業経営のニーズとして取
り組んだほうが、独立した研究機関でやらせるより、実現の可能
性が強いだろうとフォードは指摘している。この予防の考え自体
が、フォード・システムの根幹をなす「流れ作業」に不可欠のも
のであるとは言及していないが、「流れ作業」を発明した男がこう
いうことも考えていたのかと、興味深く「治療と予防」を読んだ
のである。
トヨタ生産方式の2本柱である「ジャスト・イン・タイム」と
「自働化」相互の関係のところで、お互い補完し合いながら、体
質の強い生産ラインをつくり上げると私は述べた。体質の強い生
産ラインは、そのまま体質の強い企業に通じる。トヨタの強い体
質は治療によってではなく、むしろ「予防医学」によってつくり
出されたといってよい。

トヨタ物語11 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.397 ■□■
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*** トヨタ物語11 ***
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トヨタ創業期の話と近年の品質不祥事の話には大きなギャップが
ありますが、この違いはどこから来るのか、考えさせられます。

下記の記述は1970年頃に私が聞いた大野耐一氏(当時副社長)の
講演記録からです。

■■ 標準とは自らつくり出すもの ■■
「大野が見るフォード1世 」の続きです。
かつて昭和12~13年、私がまだ豊田紡織に在籍していたころ、
上司に「紡績の標準作業を書いてみよ」と言われて、たいへん
困りました。以後、標準作業の「標準」とはいったい何かにつ
いてあれこれ考え続けた。標準作業において考えられる要素は、
人と機械と物であって、常にそれらが相互に有効に組み合わさ
っていないと、効率的な生産を行なうことは不可能である。働
く人間が疎外されるからです。
「標準」とは生産現場の人間がつくり上げるべきものです。決
して上からのお仕着せであってはならない。しかし、企業全体
の大きなデザインのなかで、工場全体のシステムが設定されて
こそ、生産現場の各部分の「標準」も緻密で弾力的なものとな
るはずです。その意味では、「標準」とは生産現場の「標準作
業」だけでなく、企業トップの概念としてとらえておかなけれ
ばならないと考えます。そこでヘンリー・フォード1世の意見
をたたき材料にさせてもらいます。

■■ フォード1世が考えた標準 ■■
標準(スタンダード)の設定には慎重な態度が必要である。な
ぜなら、標準はともすると正しいものより間違ったものを設定
することになりがちだからである。標準化には「惰性」を表す
ものと「進歩」を表すものがある。したがって標準化について
漠然と議論することは危険である。視点には生産者側のものと
消費者側のものとの2つがある。たとえば、政府の委員会や各
省が、同じ生産物にいかに多くのスタイルがあり、また多様性
があるかを各産業部門ごとに調査し、無駄な重複であると認め
たものを排除して、標準と称するものを設定したとしよう。こ
れによって公衆は利益を受けるであろうか。全国を1つの生産
単位として考えねばならない戦時下の場合を除いて、その答は
まったく否である。それはまず第1に、おそらくどんな団体も
標準を設定するのに必要な知識をもつことはできないのである。
なぜなら、そうした知識は各製造部門内部から得られるもので、
決して外部から得られるものではないからである。第2に、た
とえ彼らがそうした知識をもっていたとしても、その標準は、
おそらく一時的には経済に効果を与えるかもしれないが、結局
は進歩を妨げることになる。なぜなら製造業者は公衆のために
ではなく、標準のためにものをつくることで満足するようにな
り、人間の能力も鋭くなるどころか、かえって鈍くなるからで
ある。

■■ フォード1世に同感する大野氏 ■■
ヘンリー・フォード1世の考え方のなかに、標準とは上から与
えられるものではないという強い信念が感じとれるが、それは
相手が国であっても、企業トップであっても、工場長であって
も、どのような上司であっても、要するに「標準」を設定する
人間は、たとえば企業においては生産現場の当事者がせよ、そ
うでないと「進歩」のための標準にはなりえないことを強調し
ている。同感である。もう少しフォードを読んでいこう。「標
準とは何か」を追求しつつ、フォードは私企業の未来、産業の
未来にまで考えをおよばせていく。

産業の終着点は、人々が頭脳を必要としない、標準化され、自
動化された世界ではない。その終着点は、人によって頭脳を働
かす機械が豊富に存在する世界である。なぜならそこでは、人
間は、もはや朝早くから夜遅くまで、生計を得るための仕事に
かかりきりになるというようなことはなくなるだろう。産業の
真の目的は、1つの型に人間をはめこむことではない。また働
く人々を見かけ上の最高の地位にまで昇進させることでもない。
産業は、働く人々をも含めて公衆に、サービスを行うために存
在する。産業の真の目的は、この世の中をよくできた、しかも
安価な生産物で満たして、人間の精神と肉体を、生存のための
苦役から解放することにある。その生産物がどこまで標準化さ
れるかは、国家の問題ではなく、個々の製造業者の問題である。

ここには、ヘンリー・フォード1世の先見性がはっきりと出て
いる。そして、フォードとその協力者たちの発明し開発したオ
ートメーション・システムというか、「流れ作業」が決して、機
械が人間を振り回し、人間疎外を引き起こすことを意図したも
のでないことがわかる。

なにごともそうだが、創造した人間の意図がどんなに立派なもの
でも、それがそのまま展開されていくとはかぎらない。

トヨタ物語10 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.396 ■□■
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*** トヨタ物語10 ***
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この「トヨタ物語」を連載中に奇しくも豊田章一郎氏(元トヨタ
社長)がお亡くなりになったとのニュースが飛び込んできました。
ご冥福をお祈りいたします。
トヨタ創業期の話と近年の品質不祥事の話には大きなギャップが
ありますが、この違いはどこから来るのか、考えさせられます。
下記の記述は1970年頃に私が聞いた大野耐一氏(当時副社長)
の講演記録からです。

■■ 大野が見るフォード1世 ■■
大野氏がトヨタ生産方式で追求したのは、ムダの排除でした。
ムダは無限にあり、ムダを排除すればコストダウンが可能である
と考え、ムダを排除していくことで、利益は無限に拡大できると
考えました。この考えはフォード1世を評価するうえにもよく表
れています。以下は大野氏の記述です。

フォード1世の評伝を読むと、ヘンリー・フォード1世は大量生
産方式の父ではなく、スポンサーであると、若干揶揄したところ
もみられるが、それでも私はフォード1世の偉大さには敬服する。
私は、もしもアメリカの自動車王のヘンリー・フォード1世がい
ま生きていたら、私どもが取り組んできたトヨタ生産方式と同じ
ことをやったに違いないと思う。
その理由は、ヘンリー・フォード1世の著作を読むたびに痛感す
るのだが、彼は生来の合理主義者というか、アメリカ社会におけ
る工業のあり方について、非常に冷静で科学的な考え方をもって
いたことである。たとえば「標準化」という問題にしても、企業
における「ムダ」の何たるかを論じるにしても、フォード1世の
ものの見方は、オーソドックスであり、普遍性をもっている。

■■ フォード1世の考えたムダ ■■
フォード1世の著作から、工業についての考え方の基本つまり哲
学を示した個所を引用してみる。「ムダから学ぶ」というテーマ
である。

(以下はフォード1世の記述)もし人が何も使わないとしたら、
ムダは生じないであろう。この道理は、あまにも明らかなように
思われる。しかしこのことを、別の角度から考えてみるとどうで
あろうか。もしわれわれが何1つ使わないとしたら、すべてがム
ダではないのか。公共的資源の利用をまったく取りやめることは、
保存なのか、それともムダなのか。ある人が、自らの老後に備え
て、かれの人生の最もよき時代を倹約一筋に生きることは、かれ
の財産を保護することになるのか、それとも財産をムダにするこ
とになるのか。かれは建設的な倹約家であったのか、あるいは破
壊的な倹約家であったのか。(中略)
天然資源を利用しないで保存することは、社会へのサービスでは
ない。それは、物は人よりも重要であるという、旧式の理論に執
着することにほかならないのである。現在、わが国の天然資源は、
われわれのあらゆる需要を満たすに十分である。資源について思
いわずらうことはない。われわれが思いわずらうべきことは、人
間労働のムダについてである。

■■ 人間労働のムダ ■■
炭鉱の鉱脈に例をとろう。石炭は鉱山に眠っているかぎり重要な
ものではない。だがその塊でも、掘り出されてデトロイトに運ば
れれば、それは重要なものになる。なぜならその石炭は、採掘と
輸送の際に費やされた人間労働の量を表すからである。もしわれ
われがその石炭を少しでも浪費するなら、言い換えれば、もしわ
れわれがその石炭を完全に利用しきらないなら、われわれは、人
間の時間と努力をムダにすることになる。ムダにされることにな
っているものを生産しても、多額の賃金支払いを受けることはで
きない。
ムダについての私の理論は、物それ自体から、物を生産する労働
へと遡る。労働の価値全部に対して支払いができるようにするた
めに、労働の価値全部を利用したいというのがわれわれの希望で
ある。われわれが関心をもつのは利用であって保存ではない。わ
れわれは、人間の時間をムダにしないようにするために、物質を
その極限まで使うことを望んでいる。もともとそれ自体はただな
のである。それは管理者の手中に収まらないうちは値打ちのない
ものである。

■■ 廃棄物を再生するムダ ■■
物質をただ物質として節約するのと、物質が労働を表わしている
という理由で節約するのとは、同じことに思えるかもしれない。
しかし、この考え方の差は重大な相違を生む。物質を労働を表わ
すものとしてみるなら、より注意深く使うであろう。たとえば物
質は再生して再度利用することができるからといって、それを軽
々しくムダにはしないであろう。なぜなら廃物利用には労働が必
要だからである。理想は利用すべき廃物を出さないことである。
われわれのところには大規模な廃物利用部門がある。この部門は、
わかっているだけでも、年間2,000万ドル以上の利益をもたらし
ている。だが、この部門がしだいに成長し、その重要性を増し、
それが著しく価値あるものになるにつれ、われわれは次のような
疑問をもちはじめた。「なぜこのようにたくさんの廃物がでるの
か。ムダにしないようにすること以上に、再生することに意を用
いているのではないか。」
そこでこうした考えを念頭におきながら、われわれの全工程を調
査しはじめた。(中略)われわれの今日までの研究と調査は、年に
8,000ポンドもの鋼鉄の節約をもたらしている。それらの鋼鉄は、
以前はくず鉄にされ、新たに労働を投下して再生されねばならな
かったものである。これは年間約300万ドルの金額に相当する。
あるいは、より適切な表現をすれば、われわれの賃率で換算して、
2,000人以上の労働者の雇用に匹敵する。こうした節約は、すべて
非常に簡単に達成されたので、どうしてもっと以前にそうしなか
ったのかと今にして思えば不思議なくらいである。

トヨタ物語9 | 平林良人の『つなげるツボ』

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■□■ 平林良人の『つなげるツボ』Vol.395 ■□■
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*** トヨタ物語9 ***
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ここまで品質不祥事について話をしてきましたが、「トヨタ物語」
も今回で9話になります。トヨタ創業期の話と近年の品質不祥事
の話には大きなギャップがありますが、この違いはどこから来る
のか、考えさせられます。下記の記述は1970年頃に私が聞いた
大野耐一氏(当時副社長)の講演記録からです。

■■ 「かんばん」方式 ■■
フォード式の量産システムのポイントは、ロットを大きくして、
計画的に量産することがコスト・ダウンに最大の効果があること
をアメリカの自動車企業は証明し続けてきた。同種の同型の部品
をまとめてつくる、つまりロットを大きくまとめて、プレスの型
を替えないで、なるべくたくさん打ち続けることが、現在もなお
生産現場の常識である。
トヨタ式はその逆をゆく。「ロットはできるだけ小さく、プレス
の型の段取り替えをすみやかに」というのが私どもの生産現場の
合言葉である。なぜこうもフォード式とトヨタ式では違いが出る
のか。なぜ対立的になるのか。たとえば、ロットを大きくして量
をこなし、各所に手持ちの在庫を必要とするフォード式に対して、
トヨタ式はそれら在庫から生ずる恐れのあるつくり過ぎのムダ、
それを管理する人・土地・建物などの負担をゼロにしようという
考え方である。
そのために「ジャスト・イン・タイム」に後工程が前工程へ必要
な部品を引き取りにゆく「かんばん」方式を実践しているわけで
ある。「後工程が引き取った量だけ前工程が生産する」ことを貫
くためには、すべての生産工程が、必要な時に必要な量だけ生産
できるような、人も設備も用意しておかなければならない。

■■ ムダの徹底的な排除 ■■
後工程が時期と量についてバラついた形で引き取ると、前工程は
人と設備に関してバラつきの最大限の能力を準備しておかなけれ
ばならなくなる。原価を引き上げる明らかなムダである。ムダの
徹底的な排除がトヨタ生産方式の本旨であった。そこで生産の
「平準化」を厳格に行ない、バラつきをつぶす。その結果は、ロ
ットを小さくして、同じ物をたくさん流さないようにする。たと
えば、コロナとカリーナをつくる生産ラインでは午前中はコロナ、
午後はカリーナといったように、まとめる、といった流し方はし
ない。常にコロナとカリーナを交互に流すようにする。フォード
式は同じ物はまとめてつくってしまおうという考え方なのに対し
て、トヨタ式は「最終の市場では、お客さんが1人、1人、違っ
た車を1台ずつ買うのであるから、生産の場においても1台、1
台つくる。部品をつくる段階においても、1個、1個つくってい
く。つまり『1個流しの同期化生産』という考え方に徹する」や
り方である。

■■ ロットを小さくする ■■
生産の「平準化」のために、ロットを小さくする」結果として、
「段取り替えをすみやかに」のニーズが当然出てくることになる。
かつて昭和20年代、トヨタ自工の生産現場では、大型プレスの
金型の段取り替えに2~3時間を要した。能率と経済性から考え
て、段取り替えはなるべくしないという習慣が身についてしまっ
ていたので、当初は現場の強い抵抗を受けたものである。
段取り替えとはすなわち能率を下げること、原価を上げる要素で
あったわけだから、作業者が喜んで段取り替えをするはずがなか
ったわけである。しかし、そこは意識を変革してもらわなければ
ならなかった。すみやかな段取り替えは、トヨタ生産方式を実施
するに当たって、絶対の要件である。ロットを小さくして段取り
替えのニーズをつくり出すことによって、作業者は実戦上でトレ
ーニングを積み重ねた。
昭和30年代になって、トヨタ自工内の平準化生産を進める段階
で、段取り替えの時間は1時間を割り込んでいき、15分にもな
った。そして40年代の後半には、わずか3分にまで短縮された
のである。ニーズにもとづく作業者の実地訓練が常識を打ち破っ
た例である。

■■ 平準化への取り組み ■■
GMもフォードも、またヨーロッパの自動車企業も、それぞれ個
性的な生産合理化を行なってきているが、トヨタ生産方式が目ざ
す生産の「平準化」には取り組んでいないようである。大型プレ
スの段取り替え1つとってみても、欧米企業では依然として、か
なり長い時間を費やしている。ニーズがないからであろう。部品
の共通化を目ざすことでは非常に革新的だが、相変わらずロット
を大きくして、計画生産による量産効果を追求し続けているのだ。
フォード式とトヨタ式のいずれが優位を占めるか。いずれも、日
々新たに改善・改革をしているのであるから、早急な結論を出せ
る問題ではないが、私自身は当然、トヨタ式が低成長時代に合致
したつくり方であると確信している。