ISO審査員及び内部監査員の方に有用な情報をお届けします。

組織の底を流れる概念は重要です。リーダーの信念や価値観が本当に組織の行動原則になっているのかは、表面的な活動、行動だけでは分かりません。組織のあちこちで展開されている日常のちょっとした活動、行動にも注目しなければなりません。
もしかすると、リーダーの信念や価値観が単に外部に示す広報の役割を負っているにすぎないかも知れません。
問題に対する解決策が繰り返しリーダーの信念や価値観によって成功を収めると,リーダーの信念や価値観は当然のこととして組織全員に認められるようになります。直感や価値観によってのみ支持されていた仮説(hypothesis)が,しだいに現実のものとして認められるようになるのです。自然の世界が実際に起こったことのみによって積み重ねられ、進化していくようにリーダーの信念や価値観も現実との対比によってのみ全員に信じられるようになるのです。

本章で定義した基本的前提認識は,メンバー全員によって当たり前のものとして受けとめられており,またひとつの社会的ユニットにおいてもこれらの原則からの逸脱は認められない。この状況は,先にも述べたように一定の信条と価値観を実践して成功を繰り返したことから形成される。実際に,基本的な前提認識がグループ内で強力に保持されるようになると,ほかの考え方にもとづく行動は全く思いもよらないものとなる。たとえばグループ内の基本的前提認識が,「各個人の権利はグループ全体の権利を上回る」というものの場合,たとえある個人がそのグループの名を汚していた場合でも,その人物が(責任を感じて)自殺をしたり,グループのために何らかの方法で自分を犠牲にするといったことは全く考えもつかないこととなる。資本主義の国々では,財政赤字を垂れ流し続けるビジネス組織を作るということは全く考えられないし,さらに製品がうまく機能しようとしまいとお構いなしという経営は成り立たない。またエンジニアリングといった職業で,意図的に安全でないものをデザインすることなど,もってのほかということになる。ここでは「ものごとは安全であるべし」ということが当然のこととして認められているからだ。この意味で基本的前提認識は,アージリスとショーンが「稼働している理論(theories-in-use)」と名付けたものと類似している。実際に行動をガイドし,グループメンバーがどのように認識すべきか,思考すべきか,感じ取るべきかを指示する暗黙の前提認識なのだ。

出典 エトガー・H・シャイン「組織文化とリーダーシップ」2012年白桃書房

組織で現実に起きている行動原則は時間の経過と共に基本的前提認識となり、一度全員に認められると、もはやリーダーの信条と価値観には誰もが挑戦や論争を許されないことになります。しかし、それは新しい時代の傾向に従いそれを変化させようとすることをきわめて困難とします。新時代において何か新しいことに挑戦しようとするする際には,私たちは自身の行動原則をより明確に認識し、と共に場合によっては、再検討することも厭わない場合が出てきます。永守重信氏は「組織には変化させてはならないものと、変化させなければならないものがある」と言っていますが,前者において変化させることが求められる場合とはどんな場合でしょうか。それは、「二重学習(double-loop learning)」,あるいは「枠組をこわす(frame breaking)」と呼ぶプロセスです。組織が基本的前提認識の再検討を行うことで、私たちは一時的にせよ組織の均衡を失わせ,組織の主要な領域で不安感を大幅に拡大させることになりますので,基本的前提認識は大変困難な取り組みとなります。

われわれはこのような高いレベルの不安感を我慢する代わりに,われわれを取り巻く出来事をわれわれの基本的前提認識に合致するものへ転換して認識しようと努める。たとえそれがわれわれのまわりで起こっていることを歪曲し,否定し,投げだし,ある意味で自分自身に対して偽わることになってもである。文化がその究極的なパワーを保有するのはこの心理的プロセスにおいてなのである。基本的前提認識とセットとしての文化は,われわれに何に関心を示すべきか,それが何を意味するのか,進行していることに感情的にどのように対応すべきなのか,さらにさまざまな状況でどのような行動を取るべきかをガイドしてくれる。われわれがこのような基本的前提認識の統合されたセット,言い換えると「思考の世界」または「メンタル(精神)マップ」を築き上げると,基本的前提認識において同一のセットを抱いているほかの人たちとはきわめて安心してつき合えるようになる。逆に,われわれが何が進行しているかきちんと理解せず,あるいはさらに悪いことにわれわれがほかの人たちの行為を間違って認識し,解釈したことから,全く異なった基本的前提認識が示されるような状況では,われわれはきわめて気まずく感じ,自分がぜい弱であると感ずる。
人間の頭脳は認知における安定性を必要としている。したがって基本的前提認識に対する挑戦,あるいは論争は不安感と防御姿勢を増大させる。この意味で,グループの文化を生みだしている共有された基本的前提認識は,グループが継続的に機能することを可能にする「心理的な認知における防御メカニズム」として,個人とグループの両方のレベルにおいてとらえることができる。同時に,このレベルにおける文化はそのメンバーに,アイデンティティー(帰属意識)の基本的な感覚を植えつけ,さらに自己尊厳(self-esteem)を促す価値観を定義する。

出典 エトガー・H・シャイン「組織文化とリーダーシップ」2012年白桃書房

文化をなしている信条及び価値観は、その組織のメンバーに,自分はどのような者であり,メンバーお互いに向けてどのように行動し,自分自身はいかに自信を持つべきかについて教えてくれます。このような重要な機能を認識することを通じて,文化を「変えること」が何故それほど不安感を増大させることにつながるのかについては十分に理解できるところです。
次の例を取り上げて考えてみましょう。
もし,私たちが過去の経験や教育にもとづいて,他の人たちも私たちを好きなように利用するであろうと思っていると,私たちは他の人たちの行動に合うように行動することが良いと思いがちです。
ある人が自分の机でリラックスして座っているのを見ると,私たちは「重要な問題についてしっかり考えている」と言うよりは,「のらくら怠けている」というふうに解釈します。また仕事を休むと,「自宅で仕事をしている」と考えるよりは,「さぼっている」と考えがちです。 もし上記のようなことが個人によって抱かれている前提認識に留まらず,組織文化の一部として従業員間で共有されている場合には,従業員たちはこのような「怠けもの」の人たちをどう処遇するかを議論しはじめ,さらに人材をすべて自分のデスクで一所懸命働くように厳しく管理するようになりがちなのです。ある従業員が在宅で仕事をしたいと申し出ると,異なる従業員は不信感を募らせ自宅で仕事をさぼるに違いないと解釈してある従業員のリクエストを却下する行動に走るのがコロナ前の多くの組織で見られた現象でした。
 しかし、コロナで随分変わりました。外的事情のよってやむを得なく変わった側面が大きいのですが、私たちは誰もが十分に動機付けされ,有能だと考えている場合には,私たちは前向きな考え方にもとづいて,人材が自分のペースで,自分の好きなように仕事を進めることを促すようになります。もし誰かがデスクに静かに座っているのを見ると,私たちはこの人材は思考を巡らし,プランを練っていると解釈します。またこのような組織で,誰かが成果を挙げていないことが発見されると,その人物は怠けもので無能だとは解釈されずに,その人物と任された仕事の間にミスマッチが存在するのではないかというふうに解釈されます。ある従業員が自宅で仕事をしたいと申し出ると,彼らが成果を挙げたいと願っている証拠であろうと思われます。

(つづく)Y.H