ISO審査員が知っていると有益な情報をお伝えします。昨今の「人的資本開示の義務化」の動きの中で注目を浴びているキャリアコンサルタントの方も知っておくと良いと思います。

人的資本開示の義務化人事において、人事部門の新たな職務は、経営戦略スタッフとしての人的資源管理です。人事部門の新たなプロフェッショナルな役割への専任は、その職務価値の低下を意味するものであってはなりません。激変の時代の経営戦略スタッフとしての専門性は、高く評価されるものであることをトップは明言しているはずです。もしそうでないとしたら、経営トップは現状を認識して人事部門に自身のスタッフとして動くように要請する必要があります。ひたすら組織・順応型社員を集め、育て、事務的な横断統制を人事管理と勘違いし、人事管理の専門性を失ってしまっている可能性がありますので、人事権のライン移行は絶好の人事機能の見直しの機会でもあります。「人的資本開示の義務化」を契機に人事部門は真のプロフェッショナルとしての出発の門出を早く迎えたいものです。

トップ独裁型の組織(創業社長、カリスマ的トップ、同族経営など)で、個別・個立管理にトッ プの支持が得られた場合は、制度革新、新制度導入の絶好のチャンスである。好機逸すべからず、いくらかやりすぎ気味に革新をすすめた方がよい。形を先に作って後から魂を入れるぐらいに考えてよい。21世紀におけるヒトづくりに燃えるスタッフの働きがいというものであり、変な遠慮はいらない。
しかし逆に、個別・個立化の具体化にワンマン、トップの支持が得られない場合は、人事教育スタッフが組織と人の活性化にいかに情熱をたぎらせていようと、そのやり過ぎ、独走は会社のためにも自分のためにも大きな傷を残しやすい。スタッフにできることは、個別化・個立化の方向に沿った小さな、ごく小さな実績を地道に忍耐強く積み上げて行くことだけである。スタッフにとっては暗いトンネルの時期であるが、頑迷なトップといえど時代の息吹きはいつかは感じざるを得ないだろう。灯りがさしたときに備えて、この時期の辛抱と努力は欠かせない。個別化・個立化の流れに沿った人事施策で、頑迷なトップといえども拒絶し難いものがないわけではない。

出典 横山哲夫著「個立の時代の人材育成」-多様・異質・異能が組織を伸ばす-

自己申告制度がある組織は多いと思いますが、この制度の核心理念である自律性、キャリアの自己確立の面については組織全体に知らしめる必要があると思います。「社員が自分を活性化するために、どんなことを考えているのか。それを知るための申告制度です。」ということをトップはじめ多くの経営幹部はもう一度認識する必要があります。500人以上の企業の半分以上がこの制度を導入しているといわれるのは、保守的な、集団優先の風土の企業でも「これぐらいは行うべき」ということになっており、簡単な自己申告制を導入したら次にはこれと連動しやすい何か別の簡単なプログラムにつながっていくことになります。学者や評論家と違い、人事・教育の実務家はこうした現実的アプローチに苦心しかつ、その実現に働きがいを感ずるものだと思います。

問題はあっても行動力のあるワンマン型トップより、ひたすら部門間のバランスをとり、調和(実は単なる妥協)一辺倒の、不決断型トップの方が問題は大きいかもしれない。協調最重視の保守的企業ではとかくこういうトップの方が人気がある。ただし、人気があるのは中高年幹部、管理者の中だけであって、企業の将来を託すべき個立型ヤングには嫌われること間違いない。大手の知名度にまどわされて入社してしまった個立群は1,2年のうちに、個立を求めて退職する。これはもう誇張でもなく、おどかしでもない。個立型ヤングを育てる土壌を作らない企業は人材難に陥ることになる。組織・順応群(企業の知名度があればわけなく集まる)のみを採用して、肝心のヒトのいないことに気がつきもしない企業は、今から10年後ないし20年後、21世紀中頃に激変の時代の有能な幹部の不在を思い知らされることになるだろう。ヒトの問題はモノ、カネに比べて緊急性が少ないから打つ手が遅れがちになる。遅れさせるのはトップである。有能な人事教育スタッフは、ワンマントップ以上にバランス型トップへ働きかける手だてに苦しむことが多い。私の提言は一つしかない。人事革新のために味方になってくれそうなラインの長との緊密な協力関係の構築である。

出典 横山哲夫著「個立の時代の人材育成」-多様・異質・異能が組織を伸ばす-

マネジメントの意思決定のスタイルがトップダウンであろうと、ボトムアップであろうと、個別・個立化による組織の活性化を目指す人事・教育スタッフの最も意を注ぐべきことは、ラインの長の支持、協力の獲得です。主要ラインの長(販売会社にあっては販売部長、メーカーなら製造部長または工場長、事業部制をとっている会社なら主要事業部長)の支持、同意のあるなしは組織の活性化の成否にかかわります。フォーマル、インフォーマルに人事・教育スタッフの長はこれらのラインの長と密接な連携を保ち、要求される情報は惜し気なく提供し、心からの協力を求めるべきです。協力が得られにくい場合もあると思いますが、ラインの長の中には、人事管理・人材育成の問題に比較的強い関心を寄せる人物が必ず何人かはいるものです。この人達を突破ロにするべきで、全社的な制度改訂に踏み切れない事情がある場合には、これらの友好的なライン部門でまず個別化、個立化への道の試行のステップを踏むことも実務的には極めて有効です。
いずれにしても、ラインの長を味方に引き入れる努力をスタッフが惜しんでいては、新しい展開は期し難いと思います。とくに、人事管理・人材育成にホンネの理解を示さないようなトップの下にあっては、ラインの長の協力が組織活性化の最大の鍵です。これができない人事部長は、これができる人事センスのあるラインの長と交替してもらうしかないと思います。
そのためにはトップ自身が目標による管理(MBO)を実践すると良いと思います。

目標設定による管理(マネジメント) 方式は主としてドラッカーによって日本に伝えられたから、彼の用語 (management by objective) を借りてMBOが一般に使われる。ここで、原産地アメリカの事情について2、3知っておくことは損にならない。その一つは、ドラッカー自身が 「マネジメント・バイ・オブジェクティブ」 の後に、「エンド・セルフコントロール」と続けることを本来のいい方としていたことである。 エンド以下は省略されて用いられるようになったが、セルフ・コントロールの部分がMBOの重大な要因であることにいささかの変わりもない。
目標設定によるマネジメントの考え方はドラッカーの専売特許ではないことである。文献的正確さを期すことにはあまり興味がないので勝手な引用になると思うが、例えば、E・G・シュレイは 『マネジメント・バイ・リザルツ』 (上野一郎訳)で、目標設定を、一定期間に達成されるべき、具体的な目標の設定と捉え、とかくプロセスに目を奪われがちな経営の軌道修正を指摘したが、「サイクル管理」とか、あるいは「(ハイ)・パフォーマンス・サイクル」がそのまま日本語呼称として用いられることになったら、MBOの誤解は解けていたかもしれない。コトバによるイメージ効果の点では、MBOよりこの方がよかった、と私などは残念に思う。

出典 横山哲夫著「個立の時代の人材育成」-多様・異質・異能が組織を伸ばす-

(つづく)平林良人